日本領事館が婚姻届を受理してくれなかった件、進展があったので報告です。
先方で会議?を開いて話し合い?をした結果、氏名相違の申述書となるものに署名+捺印をして、領事館に送付すれば受理可能、と連絡を頂きました。
領事館のご担当者様、ご検討ありがとうございます。
めんどくせ〜っなんてて悪く言ってしまってごめんなさい
ここ数週間、私の人生に良い影響を及ぼしている大人たちと再会できて、脳みそをたくさん刺激されました。
反面、アフガニスタンのこと、テキサスでの新しい法律、ワクチンの可否、新たなコロナ規制、、、などなどで少し心が疲れてしまい、ちょっとギスギスしている私の心。
物事はすべて自分にとって都合の良いように捉えられます。
それがいい方向、ポジティブで本人にも周囲にもポジティブな影響があれば素晴らしい原動力になりうるのだけど、
自分の価値観を周りに押し付け過ぎたり、
思考が過激になりすぎると、誰かが傷ついてしまう。
そんなこと歴史を振り返れば明らにも関わらず、
悲しきかな、忌々しい歴史は繰り返されてしまいます。
繰り返されるのは自然の摂理なのか、人間の性なのか。
たとえ小さなことでも、自分の信念を周りに押し付けるのは危険だと思う
たとえば、
私の家族は熱烈な宗教家であり、信仰心に重きをおいている。
信仰心を持たない私がまるで反逆者かのような扱いをしてくる時があり、今起きている数々の至難は、私にもう一度信仰心を取り戻させるため起こるべくして起きていると信じてやまないようだ。
今こそ祈る時がきた、と何度も言われる。
私を改心させることが一つの祈念らしい。
たしかに、彼らの信念をベースとすればそう捉えるのが当然なのだろう。
私は、宗教観の押し付けは危険だと理解している。
古代ギリシャは自然災害が起きれば、それは神々が怒っていると捉え、怒りを鎮めるために生贄とよばれる殺人を繰り返し、
かつてのローマ帝国は、ローマ教に改宗しないキリスト教徒を惨殺した
キリスト教の布教のために、植民地支配をし大量殺人をしてきた
日本では、ローマ帝国がしたようにキリスト教徒を処刑し、踏み絵をさせて信仰の自由を奪った過去がある。
我らこそが真のムスリムだと信じて疑わないグループは暴力を繰り返し、コーランで禁止されているからと人々から音楽や笑いを奪い、女性の人権を剥奪している。
こうしてみると、宗教=危険だと思われても仕方がない
でもね、悪いことばかりじゃないのですよ。
人類は、原始時代から宗教観をもっている。
偶像をつくって子孫繁栄を願い、狩りがうまくいくよう願掛けをして日々を懸命に生きていた。(たぶん)
見えないモノを信じる行為は、私たちに生きるチカラを与えて、理解の範囲を超えるものをメイクセンスさせるには宗教は利用されてきた。
信仰は多くの至難を乗り越える糧となり、ときには、国をオーガナイズするツールになり、宗教とともに人類は発展してきた。
アフリカでは古代から男女平等が当然とされてきた。男女共に兵士として戦い国を守り、男女どちらも国のリーダーになりえた。
そのベースにはやはり宗教があったわけだ。
人類は、死を理解するために輪廻転生もしくは、痛みも苦しみもない神のもとへいけると信じて不明瞭な死に対する恐怖を和らいできた
私たちにとっての宗教というものは心の支えであり、哲学であることに間違えはない
本来であれば、危険なものではないはずなの。
自分の中で温めていればいいだけなんだけど
中には、周りを改心させることは己にも相手にも幸福をもたらすという教えもあり
自分の宗教は一番正しく、他宗教は誤りだと思い込む傾向もあり
他を否定して、最悪命さえ奪ってしまう
何事も使い方や捉え方によっては危険にも便利にもなりうる。
自分とは違う考え方をする人のことは理解できないのは当然。
でもそこで突っぱねないで、他の考え方を知ろうとするのは大切だ。
そんなこと言っておきながら、
“ありがとう” is rude, "ありがとうございます " is appropriate
だと教えているインスタグラムのページをみたときに、えぇぇぇぇぇ別によくない?!
って思っちゃいました。
てか、ありがとうって感謝を伝えているのに、“ございますをつけないとは、何様のつもりか”って思われてしまうのって悲しい。
日本語を第二言語として話している人や、勉強中の人、現地の言葉を使う努力をしている旅行者なら尚更、“ございます”ごときでルードとか言うのって傲慢では?
あ、また母国を批判してる

少しおおらかな考え方を持てるようになりたい気持ちが強すぎるからかな、狭い価値観を押し付けてくるのを見かけると、いたたまれない気持ちになる。

久々にMaroon5を聴いて気分を上げてます