息子は子どものころ、「中村俊輔のフリーキックはこうだよ」とか「中村憲剛をやるね」などと言って、フォームのまねをしていた。そう言われてみればよく似ている。特徴をよく捉えていたと思う。



 物まねというのは脳のどの部分を使うのかはわからないけれど、そういうのが上手いかどうかというのは一種の才能なのだろうと思う。観察して、ポイントとなる特徴を捉えて、それを体で上手く表現する才能。だから、フリーキックに限らず、まずはいいプレーを見ないことには始まらない。



 自分の母方の祖父はとても達筆だった。母もわりと達筆で、上手い字を見ることもそうだが、実際に書いているところを見ると上手くなるのだと言う。祖父の字を書くリズムを見ていて、それが頭に残っているそうだ。ちなみに、きれいな字を書くには書き順が大事だが、それは筆の運びやリズムがポイントだからだろう。ゆっくり書く場合はさほど問題にはならないが、すらすら書く場合には大切になる。例えば、「成」の1画めは左の「ノ」であって、上の「一」ではない。ささっと書くときにこれを逆にすると上手く書けない。



 息子のサッカーは器用だが強さがない。相手からのプレッシャーがきつい試合に弱い。物まねが上手いだけでは充分ではない。身体能力も必要だし、判断能力も必要だ。さらに、コツコツと努力することも必要である。



 「才能がないのを努力で補う」というようなことをよく言うが、コツコツ努力できるのも一種の才能ではないかと最近つくづく思う。

 だいぶ前だけど、ランズエンドというアメリカのアパレル通販の会社が、アメリカの小売大手、シアーズ社からスピンオフされることになったというニュースを見た。ランズエンド自体はだいぶ前から知っていたが、シアーズの傘下に入っていたとは知らなかった。調べてみたら2002年にシアーズが買収したらしいが、2013年にスピンオフしている。


 ランズエンドは日本でもビジネス展開していて、日本向けのサイズも用意している。デザインはアメリカの保守的な層向けというか、流行からは3歩下がったぐらいのカジュアル衣料が中心だ。要するに、垢抜けないけど、逆に「流行遅れ感」が出にくいという立ち位置。


 ランズエンドといえば「地の果て」ぐらいの意味だろう。イギリスにそういう地名がある。本土(グレートブリテン島)の南西部に突き出た岬だけど、社名の由来がそこなのかどうかは知らない。


 南米の最南部のパタゴニアと呼ばれる地域に行ったことがある。エル・カラファテという町の土産物屋で買った布袋には、"World's End''とプリントがしてあった。こちらは「世界の果て」ということである。


 この旅ではチリ最南端のプエルト・ウィリアムズという村まで行ってきた。人間が定住している場所としては世界最南端だ。泊まったのはロッジで、滞在中ずっと宿泊者は自分ひとり。宿のオーナー夫婦は別に自宅があるので貸別荘のような状態。食事は自炊なのだが、村に一軒だけレストランを見つけてそこで夕食をとった。夏とはいえ緯度は55度。北半球で言えば北海道の宗谷岬からさらに北に500キロぐらいの高緯度である。夜は薪のストーブで自分で暖をとって寝る。


 ユーラシア大陸の最西端も行ってきた。ポルトガルのロカ岬というところで、リスボンからすぐ行けるので観光地になっている。リスボンはいいところだ。一国の首都なんだけど、のんびりしている。


 ニューヨークにいた時、街中を歩いていたら、たまたまアイスランドエアの小さなオフィスに目が留まった。ウインドウに「2泊3日500ドル」という広告が出ていた。アイスランドは小学生の時に読んだ、ジュール・ベルヌの『地底旅行』というSF小説の舞台になっていた。行きたいとずっと思っていたわけではない。ただ、アイスランドエアのオフィスの広告を見た時に思い出したぐらいだから、どこかに興味はあったのだろう。


 滞在したのは首都のレイキャビク。2月上旬だったので街中からは出られなかった。ホテルのフロントで、どこかでレンタカーは借りられるかと聞いたのだが、「危ないからやめた方がいい」と真顔で言われた。街の外に出てエンストでもしたら命にかかわると。


 仕方がないからホテル前のバスに乗って終点まで行ったら、市内のはずれから先は雪原で本当に何もなかった。物価は高い。ハンバーガーセットが1,000円ぐらいした記憶がある。ホテルの朝食ブッフェで、得体のしれない物を食べた。3センチ角ぐらいのサイコロ状で、白くて柔らかく、酢漬けにしてあるような味だった。若いウエイターに聞いたら絵を描いてくれてようやくクジラだとわかった。脂身だったようだ。アイスランドは捕鯨国だ。海産物が主な産業らしく、コインにも魚やカニ、エビなどが描かれていてかわいい。


 日本の最北端は、北方領土を除けば宗谷岬で、ここはバイクで行った。10月半ばだったが、気温が8度ほどでとにかく寒かった。最東端は根室の納沙布岬。ライダーハウスで相部屋になった何人かで日の出を見に行った。


 「端っこ」になぜか惹かれる。

 小学生のころ、息子はナタデココのドリンクが好きだった。ナタデココはすっかり日本に定着して珍しいものではなくなったけど、最初に食べたときは「なんだこれ?」というものだった。イカのような食感。日本では最初にデニーズが売り出し、1993年に『Hanako』という雑誌で特集されたのがきっかけでブームになったそうだ。『Hanako』はそれ以前にもティラミスを紹介して大ブームを巻き起こしたり、(たぶんそれに味をしめて)クレーム・ブリュレでもブームの仕掛け人になったりしていた。


 その後ずいぶん経ってからのことだと思うけど、たまたま見たテレビ番組で、『Hanako』の女性編集者がナタデココの生産地であるフィリピンを訪れるというのをやっていた。ブームはとうに下火になっていたころだ。


 とある小さな村では、「ナタデココが日本でたくさん売れている」という仲買人の話に乗せられて、みんなで借金をしてナタデココ生産の作業所を建てたという。インタビューされていた村人は、
「ナタデココは日本で医薬品の原料としても使われる、だから売れなくなることはないと仲買人が言っていた。それなのに急に売れなくなった。借金が返せなくなって困っている」
と話していた。


 ブームの仕掛け人として有頂天だっただろうに、生産地の悲惨な現状を目の当たりにして、呆然として言葉が出ない女性編集者。彼女に罪はないかもしれないが、責任の一端を感じたように見えた。借金といっても、日本円で50万円ぐらいと言っていたと思うが、当時の現地の人にとっては大金だったのかもしれない。


 ブームと言えば、オリンピックの前はどこも景気が良くなる。東京でもいろいろなものがオリンピックに向けて建て直されるようで、一種の建設ラッシュになっている。地方で建築土木会社を継いだ同級生が言っていた。東日本大震災からの復興工事で人手が必要なのだが、東京で建設工事が増えていて人が集めにくくなったそうだ。人件費も資材価格も上がっているらしい。


 まだバブルの余韻が残る1990年代初め、日本の某大手証券がバルセロナオリンピックを前に「スペインファンド」の販売キャンペーンをしていたのを思い出す。スペイン株をベースにした米国株で、個人客に売り込んでいた。ファンド型の株だから、組み入れられている証券の価値がその株の価値である。普通はそれに沿った株価になるのだが、ブームの時はそれを大幅に上回る株価になった。で、オリンピック後はプレミアムがはげ落ちた。

 Jリーグが始まったのは1993年。そのあたりに4種(小学生年代)の選手登録数が増えた。1990年に24.8万人だったのが、1995年には29.8万人になった。その年をピークに2000年に23.3万人にまで減り、ピークを超えたのは2011年である。16年かかったわけだ。


 1929年のNYの株価大暴落に始まった世界恐慌の時は、株価が暴落前に戻ったの戦後の1956年だった。27年かかっている。日本もバブル期の日経平均株価のピークは1989年末。それから18年経つが、まだピーク時の半分ちょっとだ。ピーク時が異常だったのだろうが、異常な状態に踊らされると傷は深い。


 何事も急激なブームには反動が来るし、反動から回復するには時間がかかる。ブームに乗るのも悪くはないが、チキンレースかもしれないということは常に頭の片隅に置いておこうと思う。すぐに逃げられるように。

◆昔、仕事でNYにいた時の話。ある金曜日、部署の女性が「クリスはあさっての日曜日が誕生日だから、ケータリングを取って今日みんなでお祝いをするから」とお金を集めに来た。クリスは日米ハーフの育ちの良いさわやかなイケメンである。
「おれ、今日が誕生日なんだ」とは言い出せず、みんなと一緒にクリスの誕生祝いをした。


◆家内とスーパーに行った。買い物カゴを持つのは自分の役目だ。
家内がカゴをのぞき込んで言った。
「なんでそんな変な豆腐買ってんの?冷凍ピザとか。」
ふと顔を上げると、そこには知らない男の人が驚いた顔で立っていたという。
家内が「すみませーん」と言った後、「間違っちゃったー、同じような色の服を着てるんだもーん」と恥ずかしそうに大笑いしながらこっちに歩いてきた。


◆大学生の女の子と話をしていた。
「大学の友達でパキスタンからの留学生がいるんだけど、イスラムの人って男色とかするじゃない?」
「そう?」
「え、知らない?男色なんてあたしもホントかなーと思ってたんだけど」
「ふーん、そうなのかね?」
「そう。でさ、サッカーやってたらさ、腹減った、腹減ったばっかり言ってるんだよね」
「・・・それ、ダンショク(男色)じゃなくてダンジキ(断食)っていうんだよ」


◆小学校1年生の時、家が新しく建て替わった。
建て替えている間、借家住まいをしていた。
ある日、学校から帰ってトイレに駆け込み、トイレから出ると知らない大人が2人いた。
あ、もう新しい家ができてそっちに引っ越したんだったと思い出して、黙って家を出た。

 先月、『ノロ?』というタイトルで、幸いうちではまだインフルエンザが出ていないと書いたが、その後息子は結局インフルエンザにかかり、また練習を休んだ。



 胃腸炎の方はノロの検査をしなかったので学校は欠席扱いになったが、インフルエンザは診断を受けたので、欠席の扱いにはならない。



 そうは言っても、サッカーも学校も休むことには変わりはない。休まなければらないのは、診断を受けた日から5日、または熱が下がって2日のどちらか長い方。幸い、熱はわりと早くに下がり、週末もあったので学校を休むのは最短で済んだ。サッカーは復帰してすぐは相当きつかったらしい。筋肉痛になったそうだ。



 今年は出だしからいろいろとつまづいて、サッカーも勉強も取り戻すのにまた時間がかかる。