五次元は『無責任世界』
今回の記事は五次元的な視点からの記事になりますので、『善悪』『正義』『執着』などを抱えている三次元や四次元的思考の人ほど怒りや反発を感じるかもしれませんので、予めご了承願いますm(__)m
五次元的視点で見れば『今』しかなく、『今』の自分が変われば未来も変わりますし、過去すら変わってしまいます。
そして『今』の自分と数秒前の過去の自分も同じではありません。
前にも書きましたが、『今』の自分と過去の自分が同じ存在であると言うのならば、自分と他人とも同じ存在であると言うのと一緒になります。
(意味が分からない方はスルーして下さい)
つまり、未来が不確定なら、過去も不確定という事です。
『今』を起点に未来はいくつも分岐して行きますが、過去も同じように分岐して行くのです。
余計に分かりにくくなったかもしれませんが、『今』の自分の在り方次第で過去自体も全く別物にリンクします。
『今』が苦しければ苦しい過去にリンクしますし、
『今』が幸せなら苦しい過去にリンク出来なくなります。
我々は常に変化しています。
特に最近は一年前の自分と現在の自分とでは、
全く別人のような思考や生活スタイルの人も多いと思います。
はっきりと言いますが、過去の自分と現在の自分とは全くの他人です。
そう思って下さい。
そして、自分の過去の行いや言葉に責任を持つ必要もありません。
前の言っていた事と、今のやっている事は違っても良いのです。
自分が罪を犯したとしても、反省してこれからやらないと誓えば、それで良いのです。
責任で自分を責めて、自分を苦しめる必要もありません。
本心から自分を責める事が無くなれば、周りを責める事も無くなるでしょう。
自分を縛る『責任』という鎖が無くなれば、他人を縛る『責任』という鎖も無くなり、
戦争・争い・裁判もなくなるし『正義』も無くなります。
『正義』が無くなれば『悪』も無くなります。
そこに真の自由があります。
政治家だって人ですから、考え方が変わる事も当たり前にあるでしょう。
考え方が変われば過去の言動と矛盾する事もあります。
それで良いのではないでしょうか?
心変わりは進化の証です。
過去の未熟な自分の発言に縛られていては、ずっと未熟なままでいなければならなくなります。
特に現在のように変化の加速している時期は、自分の『責任』から自由にならなければ、進化に乗り遅れてしまいます。
自分というキャラクターからも脱却が必要です。
自分で作り上げたいくつもの仮面や他人からの言葉、法律やルールに縛られなくても良いのですよ。
思い付きで行動しても良いのです。
これからは『無責任時代』になります。
法律や善悪や責任よりも、『今』という瞬間の自分の波動の世界に生きるようになります。
自分の発した波動が、瞬間的に自分に戻ってきます。
つまり『今』の自分の波動が大事になるので、
周りの人も必然的に似たような波動の人々になります。
ですから『責任』という概念は時間のある三次元や四次元にしか存在できないのです。
自分と他人という分離意識の世界にしか『責任』は生まれません。
五次元以上の世界は、ワンネスの世界ですから『責任』はなく許しの世界です。
そこには自己嫌悪も自己批判もありません。
ただし、三次元や四次元のような劇的な魂の進化もないようです。
ですから高次元の存在は三次元に関わりたがりますし、自分の魂の一部を三次元に転生させたがるのです。
三次元世界は正に、『進化の種』だったのです。
ですから、アセンションは『進化の花』を咲かせる事であり、
アセンションしない事は『進化の種』を更に熟成させるという事になると言えます。
ですからアセンションはしてもしなくても、どっちでも良いのです。
無責任発言でした(笑)
五次元的視点で見れば『今』しかなく、『今』の自分が変われば未来も変わりますし、過去すら変わってしまいます。
そして『今』の自分と数秒前の過去の自分も同じではありません。
前にも書きましたが、『今』の自分と過去の自分が同じ存在であると言うのならば、自分と他人とも同じ存在であると言うのと一緒になります。
(意味が分からない方はスルーして下さい)
つまり、未来が不確定なら、過去も不確定という事です。
『今』を起点に未来はいくつも分岐して行きますが、過去も同じように分岐して行くのです。
余計に分かりにくくなったかもしれませんが、『今』の自分の在り方次第で過去自体も全く別物にリンクします。
『今』が苦しければ苦しい過去にリンクしますし、
『今』が幸せなら苦しい過去にリンク出来なくなります。
我々は常に変化しています。
特に最近は一年前の自分と現在の自分とでは、
全く別人のような思考や生活スタイルの人も多いと思います。
はっきりと言いますが、過去の自分と現在の自分とは全くの他人です。
そう思って下さい。
そして、自分の過去の行いや言葉に責任を持つ必要もありません。
前の言っていた事と、今のやっている事は違っても良いのです。
自分が罪を犯したとしても、反省してこれからやらないと誓えば、それで良いのです。
責任で自分を責めて、自分を苦しめる必要もありません。
本心から自分を責める事が無くなれば、周りを責める事も無くなるでしょう。
自分を縛る『責任』という鎖が無くなれば、他人を縛る『責任』という鎖も無くなり、
戦争・争い・裁判もなくなるし『正義』も無くなります。
『正義』が無くなれば『悪』も無くなります。
そこに真の自由があります。
政治家だって人ですから、考え方が変わる事も当たり前にあるでしょう。
考え方が変われば過去の言動と矛盾する事もあります。
それで良いのではないでしょうか?
心変わりは進化の証です。
過去の未熟な自分の発言に縛られていては、ずっと未熟なままでいなければならなくなります。
特に現在のように変化の加速している時期は、自分の『責任』から自由にならなければ、進化に乗り遅れてしまいます。
自分というキャラクターからも脱却が必要です。
自分で作り上げたいくつもの仮面や他人からの言葉、法律やルールに縛られなくても良いのですよ。
思い付きで行動しても良いのです。
これからは『無責任時代』になります。
法律や善悪や責任よりも、『今』という瞬間の自分の波動の世界に生きるようになります。
自分の発した波動が、瞬間的に自分に戻ってきます。
つまり『今』の自分の波動が大事になるので、
周りの人も必然的に似たような波動の人々になります。
ですから『責任』という概念は時間のある三次元や四次元にしか存在できないのです。
自分と他人という分離意識の世界にしか『責任』は生まれません。
五次元以上の世界は、ワンネスの世界ですから『責任』はなく許しの世界です。
そこには自己嫌悪も自己批判もありません。
ただし、三次元や四次元のような劇的な魂の進化もないようです。
ですから高次元の存在は三次元に関わりたがりますし、自分の魂の一部を三次元に転生させたがるのです。
三次元世界は正に、『進化の種』だったのです。
ですから、アセンションは『進化の花』を咲かせる事であり、
アセンションしない事は『進化の種』を更に熟成させるという事になると言えます。
ですからアセンションはしてもしなくても、どっちでも良いのです。
無責任発言でした(笑)