我が毛糸のセーターたちの行く末 | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 椿の芽吹きを撮っていたら、新芽の先に何やら居る…… (04/14 12:01)

 

 昨夜は夕食後 寝落ち。昨日の庭仕事がハード過ぎた。夜半をとうに過ぎた丑三つ時に目覚めた。びっくり……愕然。
 大急ぎでパソコンでブログ日記。しばしば接続が切れ、いつもの倍の時間を費やした。
 たまには読書三昧の休日を過ごしたい。 (04/14 05:57)

 

 ← それは…ハチ? 椿から移動し柊へ。まだ子供なのか、成虫だが図体が小さいのか。 (04/14 12:03)

 

 内緒で呟いておく……古いけど我輩には高価なセーター2つを棄てた。新品同様の毛糸のセーター。クリーニングに出す費用をケチって洗濯機で洗った。縮んだ!

 クリーニング代をケチって貰った高級なセーターをふいにした。

 我輩が愚かなのは、最初の1回は無知だったと言い訳もできよう……が、その後も何度も同じ失敗を繰り返すこと。そもそも自分では洗濯機で洗えない衣類は買わない……というか高級な衣料は買わない。

 毛糸のセーターは、何れも姉から貰ったもの。貰っても来ていく場所や機会がない。街へ書店に出掛ける際、敢えて着る。が、冬なのでコートやジャンパーを羽織ってる。見えない。他人はトレーナーでも着てると見るだろう。

 タンスには近年 貰った高級なセーターが鎮座してる。勿体なくて着れない。このままずっと箪笥の中を暖め続けそうだ。 (04/14 12:24)

 

 ← 事がやや忙しく疲れ気味。コロナ禍で暇な時期が長く、大した繁忙でもないのにグロッキー。買い物にも行かず。ああ、洗濯物を取り込まなくっちゃ。今日は雨がち。予報も雨。が、思いがけず昼過ぎ晴れ間が。ちょっと庭を散策。躑躅に蕾。モミジの小紫色の花粉(?)が散乱。鈴蘭たちが芽吹き始めた。シロダモがあちこちに。内庭の椿の花がドスンと落ちてる。あ、昨日までは蕾だった苧環が数輪 咲きだしてる。何て気品ある清楚な佇まい! (04/16 15:05)

 

 スカトロジー本の感想が読メに。一定数のもの好きが居る。吾輩も…。糞尿譚ものは数々読んできた。何故かガキどもの最たる話題。スカトロジー……きっと、つっかえたモノが取れてスカッとするっていう学問なんだろう。 (04/15 12:05)

 

 マリオ・バルガス ジョサ著の『嘘から出たまこと (セルバンテス賞コレクション)』を読み始めた。書評集であり文学論であり読書論。古書店で発掘。 (04/15 11:45)

 

 池上 英洋著『レオナルド・ダ・ヴィンチ: 生涯と芸術のすべて』 (筑摩書房)なる本がある。

 一昨年だったか、書店の美術書のコーナーで、本書とアイザックソンの上下巻とが目についた。どっちを買うか小さな胸(?)を悩ませた。結果、アイザックソンを選んだ。当時はアイザックソンの名は我輩には全く未知。では何故アイザックソンの本を選んだかというと、本書の浩瀚さに怯んでしまったのだ。情けない。今にして考える、むしろ本書を読むべきか……。 (04/14 16:10)

 

 ゴビの砂漠を~♪ はるばると~♪ ゴミ……じゃない黄砂がはるばると。車の窓もボディも黄色い。肺の中まで黄色い? (04/14 12:11

 

 庭先……庭の入り口に今年もムラサキツユクサが。庭のあちこちで開花してくれる。

 きっとジャーマンアイリスも開花し始めるはず。あとは何が咲く? ドクダミはまだかな。

 苧環も間もなく? 皐月や躑躅も近日公開する? ミニバラも近々かな。鈴蘭は気が早いか。

 そう言えば、買い物帰り庭を歩いてたら、ウグイスの初鳴きを聴いた。たどたどしい鳴き声。姿は確認できなかった。 (04/14 15:44)

 

 ← 桜並木。別に桜の開花ばかりが桜並木じゃない。新芽の青葉若葉の並木こそが真骨頂。街灯の明かりに映えて。川面に映る揺れる光景共々素晴らしい。 (04/16 19:22)

 

 Adam Hochschild著の『King Leopold's Ghost: A story of greed, terror and herois』 今読んでいるバルガス・ジョサの本によれば、本書は、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」の時代背景を理解する必須の書だとか。誰か翻訳出版してくれないか。扱われるのは、嘗てのベルギーのレオポルド2世。コンゴにて数百万人を殺した。 (04/15 15:36)

 

 岸田首相演説会場付近で爆発音とか。昨年の事件を否応なく思い起こす。……一度あることは二度ある。二度あることは何度でも繰り返す。専守防衛の縛りを自らあっさり棄てた日本。日本は今や戦争前夜だ。歴史は繰り返す。装いを変えて。

 敵基地攻撃能力を持つと決めた以上は、日本の基地も攻撃されることを覚悟しないと。現政権は危険な一線を越えてしまった。こども政策は付け焼き刃で終わりそう。軍事費増大分で予算は圧迫されて余裕などない。 (04/15 12:24)

(頂いたコメントに)国の予算が逼迫すると国民に余裕がなくなり、世の中がギスギスしてくる。バカラで騒いで優さを晴らすって発想が世も末の兆候でしょうね。 (04/15 12:29) タカ派の奴らが台頭し始める…。

 

 スナウラ・テイラー著の『荷を引く獣たち: 動物の解放と障害者の解放』(洛北出版)を読み始めた。本書はゴミ置き場で拾ってきたもの。恐らく、そうでなければ入手しなかった…というより、目にする機会はなかっただろう。洛北出版の本を手にするのも初めてじゃなかろうか。

 以下は内容案内:

「スナウラ・テイラーは、一人の障害当事者として、障害者運動と動物の権利運動の担い手として、そして一人の芸術家として、読者に問いかける。もし動物と障害者の抑圧がもつれあっているのなら、もし健常者を中心とする制度と人間を中心とする倫理とがつながっているのなら、解放への道のりもまた、交差しているのではないか、と。」

「彼女は考えつづける。デモに参加しながら、絵を描きながら、対話しながら、食べながら。いったい何が、動物たちから人間を、障害者ではない人たちから障害者を、区別しているのだろうか、と。」

「彼女は考えつづける。身体的・精神的な能力の有無や高低(世界の中でどのように動いたり、動けなかったりするか)を基準にして、私たちは、自分を「人間」として意識し、他なる者を「動物」として値踏みしてしまっているのではないか、と。「人間」としての自分という自負を保つために、私たちは、「動物」との違いを際立たせることに、どれほど血道をあげているのだろうか、と。」

「この『荷を引く獣たち』には、「障害」と「動物」という、これまで対立すると見なされてきた問題が、実際には深く結びついているということが、テイラー自身の体験にもとづいて、丁寧に書かれている。」

「そのうえで彼女は、もっと風通しのよい、ゆたかな経験と共感にくつろぐ未来を、読者に語りかける。目前の世界の姿を、荷車や車椅子の輪のように、ぐるりと回転させ、しなやかに変えてみせるのである。おおらかに、エレガントに。」

「壊れやすく、依存的なわたしたち動物は、ぎこちなく、不完全に、互いに互いの世話をみる。本書は、そのような未来への招待状である。」

 ある歴史上の偉人の有名な言葉……遺訓:人生は重き荷を背負いて長き道を行く……。加えるなら人間は多くの動物たちに重き荷を背負わせ食い散らし食い潰す業深き獸。ブロイラーの鶏。ほんの少しの気付きがあれば、何かしらのことが出来るかもしれない……無理か。エゴと欲望は何者にも勝る。

 まだプロローグしか読んでない。もう憂鬱になってる。危機感や憤りの念もあってか、時に辛辣な語調になる。最後まで読み通せるか覚束ない。 (04/15 12:08)

 

 ← 富山で人気のスポット。夜景もいいし昼もいい。晴れてたら、昼間は赤い糸の先に立山連峰を望むのがお薦め。久々、近所の結婚式場に仕事で赴いたので、せっかくなので撮影した。 (04/17 00:08)

 

『蒸気機関車―記録写真』 (1970年)これも一緒に蔵から持ち出した父の蔵書の一冊。半世紀前の本。撮影者も著名な方らしい。鉄道員だった父。この蒸気機関車の記録写真は、蒸気機関車の運転士だった頃に買ったのかな。人気の写真集のようで、古書にしては高め。欲しがる人が多い。 (04/17 09:42)

 

 過日蔵から持ち出した父の蔵書の一冊。『国鉄全駅ルーツ大辞典』 (1978年)。国鉄職員だったからなのか、父らしい蔵書。46年前の本。  (04/17 10:06)