← 日中の雨も夜には止み、松川沿いの桜並木…夜桜見頃に。 (03/24 22:49)
通りに面した生垣でもある庭の椿が見事な咲きっぷり。風雨に見舞われなくても花房が次々と落下する。生垣の後ろに落ちるならともかく、通りから玄関に至る私道に落ちると…遠目には血溜まりに見える。見かけた時は、事件現場の生々しい痕を隠蔽するかのように、慌てて花房や散った花びらを拾い上げ、生垣や植木の後ろに放り込む。後ろめたいことしているみたい。
家ではコリン・ウィルソン著の『アトランティスの遺産』やマリオ バルガス=リョサ作の『官能の夢―ドン・リゴベルトの手帖』を交互に。いずれも古本。というか、この頃古本読みが多くなっている。普通の書店では売ってないし、悲しくも生活防衛の意味もある。それにしても、古本屋が富山は少なすぎる。文化程度が分かるよね。 (追記 03/24 03:56)
マリオ・バルガス=リョサ作の『官能の夢―ドン・リゴベルトの手帖』を相変わらず読んでいる。まだ、百頁にもならないが、クリムトもだが、ほとんどエゴン・シーレ尽くし。
吾輩は、若い頃にシーレを知り、展覧会に行ったし、画集の類いも何冊か今も手元に。リョサはいい年をした大人の男女(複数の夫婦……スワッピング?)に美少年を絡ませて。シーレはモデルとしての少女等を己れを官能と本能の赴くままに描き尽くす。燃え尽きる蝋燭の焔のような末期の命の懇願する眼と肉体。
今も何処かでシーレの展覧会 やってる? 我輩はシーレの全貌までは知らない。 (03/25 14:15)
← 畑と庭の境にある生垣に今ボケが真っ盛り。 (03/25 14:00)
車中では、仕事の合間の楽しみで『矢内原伊作の本 (2) 終末の文学』やら、ア−サ−・C.クラ−クの『幼年期の終わり』 (光文社古典新訳文庫)を読んでる。
矢内原は小林秀雄の戦争責任…頬かむりの姿勢を頻りに指弾。だが、暖簾に腕押し。小林秀雄は鵺のような存在。無責任の塊。矢内原の生真面目な攻撃は空回りしている。クラ−クの『幼年期の終わり』は、ひたすら詰まらない。
今日は肌寒い。桜の花も延命? 先程 庭先で草むしり。ちょっと異常に開花の見事な椿を見に庭に出ただけなんだが、雑草までもが逞しく育っちゃって目立つ! つい、サンダル履き部屋着のまま、素手で雑草と格闘。
指先もだが、爪の中にも泥が。洗うの大変。……植物たちの芽吹きの季節。蠢動。命の蠢き。そのオーラの飛沫を浴びて、少しは回春したい! (03/25 14:25)