年末らしい年末が明けて | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

557934 ← 平山 亜佐子 著『問題の女 本荘幽蘭伝』「転職50回以上50人近い夫と120人以上の交際相手を持ち、日本列島、中国大陸、台湾、朝鮮半島、東南アジアに神出鬼没、明治・大正・昭和を駆け抜けた毛断(モダン)ガールの本家本元、本荘幽蘭(ほんじょうゆうらん)」

 

 下記するように、この三日は珍しく忙しく、今日は食事とトイレ、洗濯以外の動きはできず、読書をしながら寝落ちし、夕方ようやく起き上がってきた。

 

 平山亜佐子 著の『問題の女 本荘幽蘭伝』を読み始めた。全くの好奇心。「明治時代にはその名を知らぬものはなかったお騒がせ女史の謎に包まれた生涯」という問題の女の伝記とあっては読まないではいられない。


 本書で以下の女傑を知った。全く未知の存在:
「原 采蘋(はら さいひん、寛政10年(1798年) - 安政6年10月1日(1859年))は、江戸時代後期の女流詩人。名は猷(みち)。采蘋は号で、他に霞窓などを名乗る。江馬細香・梁川紅蘭らとならぶ、江戸後期の女性漢詩人の代表的人物。男装、帯刀の女流詩人として知られる。」六十二歳で永眠するまて生涯独身、男装のままだったとか。
「高場 乱(たかば おさむ、天保2年10月8日(1831年11月11日) - 明治24年(1891年))は、江戸時代末期の女性儒学者で、医者、教育者。筑前国博多の人。幼名は養命。諱は元陽のち乱。通称は小刀。号は仙芝など。」原 采蘋と共に男装で一生を通した本荘幽蘭の同郷の先達。玄洋社の生みの親(の一人)。

 

 悲惨な事件、悲しい事件が続く。昨夜は芸能人の自殺。若い……これからという方。ふと30年ほど前の○カダ△キコさんの飛び降り自殺を思い出した。当時 仕事柄 あの有名なビルの前は何度も通り掛かった……自殺のあとも。何があったのか真相など知るよしもない。悲しいだけ。痛ましい。
 その頃、内田有紀というタレント…歌手が登場し、彼女の名前で岡田有希子さんの名前を上書きして忌まわしい事件を封印しようとしていると邪推したものでした。

 

 今朝未明に書いた呟きを再掲しておく
 今週末は、木金土の三日連続の勤務。雨の日や雪の日もあったが、概ね最悪の天候とはならなかた。若い人を中心にそれなりの人の出が見られた。三日で7万円の売り上げは自分としてはまずまずか。特に昨夜は税込みで3万円。こうした繁忙期に無線の仕事は時に不都合。特に普段無線を依頼しない店からの客は、車が到着しても十分は平気で待たせる。まるでハイヤー扱いだ。十分待たせる客が十件あったら、合計百分無為に奪われてしまう。他に待っている客への迷惑もだし、運転手として座視できない業務妨害ではなかろうか。会社として対策を考えるべきだろう。
  それはともかく、先月の中旬くらいから終末限定だがそれなりに人の出が見られるようになっている。来月…年明けには新型コロナの第6波が来るという警告も出ていて、皆さん、今のうちに久々の会合を持っているのかもしれない。