「唐詩選(上)」読了 | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 

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← イレーヌ・ネミロフスキー 著『血の熱』(芝盛行 訳 未知谷) 「田舎の生活の奥底に眠っていた情熱の、時を越えた驚くべき噴出を明らかにする(……)ほとんど何も起こらない、死んだような田園生活と、そこに眠り忘却されていた情熱の激しさのコントラストに、読者は唖然とすることになる」(塚本昌則氏評「週刊読書人」7月15日号)

 

 読ませる作品。負のマトリョーシカのような世界。フランスの片田舎の村が舞台。顔見知りの人ばかり。誰彼の素性や人間関係も知悉している。澱んだ空気が息苦しい。今日も明日も同じような日が続く……はずだった、ある死亡事故が起きるまでは。

 

 それは事故だとされていたが、実は殺人事件だった。村人たちは、なかった、何も見なかったことにし、平穏な暮らしが続くはずだった。が、中には生真面目な奴もいる。あったことを不問に伏すことはできないなんて正論を吐く。
 犯人が呆気なく炙り出される。知らないのは生真面目なそいつだけ。

 さて、話はここからが本番本題。世間を避けて生きる老人が語り部。黙って、旧弊に従っておけば、生真面目な彼も……ああ!


 第二次大戦前、ユダヤ人ということで、ナチに捕まり、39歳で死んだ書き手。僅か数年で完成度の高い作品を何作も。よくぞ、紛失せず、戦後何十年も経って発表されたものだ。作者も死を覚悟した中、あるいは、覚悟したからこそ書けたのか。

 

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← 『唐詩選 (上)』(前野 直彬 注解 岩波文庫) 「中国・明代に編まれ,江戸時代から今日まで,長らく日本人に愛誦されてきた唐詩のアンソロジー.王維・李白・杜甫ら盛唐期の詩人を中心に,128人,465篇の名詩が選ばれている」。

 

 明日には読了かな。日に30頁ほどずつ。やはり、(偉そうな言い方だけど)杜甫はいい。昨夜、書庫を漁ったら、中国関連の小説(三国志や水滸伝絡み)はもちろんだけど、唐詩に限らず、漢詩の本が何冊も見つかった。我輩の本もあるけど、父の蔵書も多い。そりゃそうだ、父は、篆刻に最期まで精進してて、漢字(篆書)の本も含め、陶器や書の専門書は必需品だったからね。

 

 さて、本書を読み始めた頃、以下のように書いた

 
 日本初の漢詩集「懐風藻」に続き、やはり本場の「唐詩選」を。
 偽書という説も。中国でより、江戸時代の日本で、寺子屋などで学ばれた。儒者荻生徂徠が宣伝し、その弟子が教科書として流行させる。古代日本形成期の英傑たちが、やや背伸び気味ながらも、漢詩などの素養を身に付けようとしていた、懸命さのみなぎる「懐風藻」。これはこれで感じるものがあった。でもやはり、本場だよね。漢詩は、折々読む。背伸びしてもね。

 

 午前は晴れ。午後は崩れそう。生ごみだけコンポストに捨てに行った……のが運の尽き。雑草が目についた、毟った、あ、あそこにも雑草が、あれ、あっちにも。1本が3本に、3本が……気が付けば一時間半も草むしりに落ち葉拾い。今日は、クリの木がターゲットになった。晩秋から栗の木の落ち葉がやばい。モミジのように一気に散ってくれればいいものを、未だに風が吹くたびに散る。散らばる。実は、隣家の畑にも散っている。気にはなっていた。といって、他人の畑に侵入して落ち葉拾いも変。でも、今日、思い切った作戦を実行(思い付きですが)。

 

 それは、まず、クリの木にしぶとくしがみついている枯れ葉を手ではぎ取った。毟り取ったというべきか。6本のクリの木に残る枯れ葉を全て。ついで、隣家の畑に侵入し、クリの落ち葉をせっせと拾う。拾いまくる。雑草に絡んでいたので、雑草ごと、ゴゾッと。栗の木が今頃になってようやく(我が手を患われてだけど)、冬らしく裸木になり、ホッとした。

 

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← 大江健三郎/著『死者の奢り・飼育』(新潮文庫) 「“閉ざされた壁のなかに生きている状態”を論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体で描いた、芥川賞受賞当時の輝ける作品集」。

 

 本書『死者の奢り・飼育』も明日には読了かな。
 大江は、吃音や半身不随、兎唇など、肉体にハンディを抱えている登場人物が多い。冒頭の「死者の奢り」は、死体(解剖用献体……古い死体は邪魔だと廃棄!)だって、究極のハンディ体。大江は、子息がハンディを抱え(つつも活躍した)ていたけど、本書は初期の作品集。肉体のハンディへの関心の由来は奈辺にありや。小説構想上の方法的なもの?

 

 今のところ、面白くは読んでいるが、何処かに臭み……手段めいた(つまり、ハンディを抱えている人の身に立ってじゃなく、他人の不幸……他人行儀に近い)ものを感じてならない。

 

 閑話休題…
 戦後間もない頃など、昔の山村の暮らしをせいひつに心暖まるように描いたドラマ。別に粗探しをするんじゃないけど。少なくとも畑のある農家だったら、田舎の香水などが濃厚だったことは示唆くらいしないと。トイレは、穴へ坊っちゃん。柄杓で肥担桶に移し、肩に担いで畑に。我が家の庭先にも立派な肥溜めがあったっけ。あちこちに肥溜めがあるから、自転車ごと、真っ逆さまって逸話、多々。糞尿は貴重な肥やしだったのだ(今も)!