坂のある町への想い | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 東京は、下町を除くと、大概の町は坂の町だったという印象がある。
 実際には平坦な地域のほうが多いのかもしれなくて、たまたま小生が居住した場所、小生が歩いたり馴染んだりした地域が坂で印象付けられていただけなのかもしれないが。


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→ 北陸新幹線開通に向け、富山駅の新しい駅舎が着々と。


 小生が13年、お世話になった会社は、港区の海岸と呼ばれる町にあり、別に下町ではない。埋立地の一角と理解すべきだろう。大抵、オートバイで通っていたが、歩きで、あるいはバスを利用して会社へ行ったことも、結構、多い。
 最寄駅は、田町駅か品川駅。芝浦などを歩いて運河に面する護岸の一角のような場所に会社があった。

 ただし、住んでいたのは、高輪で、三田や芝、白金、麻布に接している(つながっている)。高輪の大地は古代の東海道が通っていた地で、まさに高台となっている。古代は、その直下に海があったのだが、やがて埋立てが進み、東海道が通るようになった。
 歩いて会社へ向かうには、道筋は幾通りかあったが、最短のルートを選ぶときには、高輪の坂を上り、高台を横切り、高輪の坂を下って、新しい東海道へ。そこを横切って、山手線(京浜東北線)の地下を潜る。高さが1.7メートルほどの暗い道を数百メートル、頭をやや傾げながら歩いていく。一方通行の地下道で、車の抜け道でもある。

 東京には、山の手と呼ばれる地域がある。「低地にある下町に対して、高台にある地域を指す」という。
 より詳しくは、「山の手 - Wikipedia 」によると、「東京においては、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域 = 朱引、もしくは大江戸)において、江戸城の近辺と西にあたる高台の武家地域を『山の手』と呼び、水運に適した低地にある商工業が盛んな町人町を『下町』と呼んだ。山の手の代表的な地域は、麹町・牛込・四谷・赤坂・麻布・芝・本郷・小石川などである。地理的には武蔵野台地の東端にあたる。日本の近代化とともに山の手はさらに西へと広がり、第二山の手と呼ばれる一帯が形成されていき、日本の西洋化を象徴する地域ともなった」とか。


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← 中三日でこれだけの収穫。


 高輪から白金、麻布、芝、六本木などは接している。入り組んだ坂道が幾本もあって、整備される前は、車で麻布(十番)から六本木の交差点へ迷わず向かうのは、案外と難しかった。
 幾筋もの入り組んだ坂道、細い路地を歩く。思わぬところに階段や地下道があって、車だと遠いのが、歩いてみたら、すぐそこだったりする。
 麻布も昔は狸の出るような草木の鬱蒼と生い茂る小高い山で、そこに幽霊坂などの数知れない坂道が刻まれていった。
 高級なマンションや邸宅が山の起伏のあちこちにある。車で向かうと、分かれ道が幾つもあり、まるで隠れ処のようでもある。
 渋谷にしても、道元坂などに象徴されるように、坂の町である。緩やかに起伏する谷の底に渋谷の町ができていった。

 東京は坂の町でなくても、歴史や文化が錯綜している。足跡や思い出や事件や体験や情念が踏み固められ、掻き削られ、掻き混ぜられ、堆積し、拡散する。野心と情熱とが、期待と絶望とが、退屈と緊張とが、背中合わせになっている。
 坂の町は、細い坂道が、それらの情念の符合を複雑に結び付け、意外な形で出会わせ、あるいはすれ違わせる。

 東京在住時代の後半は、大田区に居住していて、平坦な地、新たに造成された地という印象がある(実際には古くからあったのだが)。平坦な町は、すべてが見通せる…かのような印象を抱かせる。
 両側が塀や生け垣や崖の坂の道で行き来するしかないとなれば、一望が叶わない。常に崖や山や起伏で大きな死角を生じさせている。その死角の連続が坂の町に独特な物語の雰囲気を醸し出す。
 大田区の、それも区役所があったような中央と呼ばれる地域に住んでいると、平板な座標軸の上に、誰によってでも一望監視が可能な、アパートでいえば、天井も壁もぶち抜かれたような、奇妙な丸裸感があった。
 歴史や文化が、堆積する前に、綺麗に拭われ取っ払われて、吹きっ晒しの感を抱かされる。


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→ 畑の一角で草むしり作業。カボチャの姿が一部、現れてきた。


 富山の我が町に帰ったときも、同じような感じを抱かされてしまった。
 空襲で市街地が殲滅されたから、大田区以上に歴史が薄い(かのような)感じがする。
 扇状地であり、田畑の農村であり、森も林もなく、せいぜい屋敷林が点々とあるだけ。
 坂はなく、曲がりくねった道もなく、この道がどこへどう繋がるのかという、未知の感覚が生じようがない。
 神社や寺でさえ、深い森に囲繞されることはなく、神秘や不可視の感から遥かに遠い。