第12話『母のはなし』
ほとんど家族の話をしていませんでしたが、もちろん私の闘病生活には常に家族の支えがありました。
特に母の支えが私にとっては大きかったと思います。
今回は母のはなしです。
第1話から登場していた母ですが、
もともとは…
「病は気からやろ!学校行け!💢」
というくらいには厳しい感じでしたし、
なぜか研究していた🐔チキン南蛮🐔を毎日気持ち悪くなるほど息子に食べさせるくらいには健康面にとても気をつかってる感じでもありませんでした。
👆🏻
このチキン南蛮のせいで癌になったと今でも冗談でイジります。もう一生作ってくれません。笑
そんな母ですが、私が救急車で運ばれ、入院してから、1日も欠かさず、病院に足を運んでいました。
父は会社員、それに対し母は自営業で動きやすかったこともあると思います。
来るたびに大学の教科書を持ってきたり、ガンプラを買ってきたり。当たり前と思っていましたが、自分が働きはじめてその凄さに気付きます。
そんなある日、母が足湯♨️をしよう!と言ってきました。
母は私の手足が冷たいことをいつも気にかけていて、それを改善しようと看護師さんに頼み、桶を借り、それにお湯を張って準備していました。
私は椅子に座り、桶に足をつけました。
母はなにも言わずに私の足をマッサージしていました。
それが温かくて、、温かくて、、
気づけば涙が溢れていました。
献身的に自分の足を揉む母親と、なにも出来ない、なにも返せない自分がそこにはいました。
今まであることが当たり前で感じようともしていなかった母の愛情を感じた瞬間でした。
母が私を見上げたとき、今まで私の前で涙どころか、ネガティブなこと一つ言ったことのなかった母が少しだけ泣きました。
母「あんたが泣いたらそんなんお母さんも泣いてまうわ!」
私「…ッ…目にゴミ入っただけやし!ついでに目も洗ってくれや!」
母「ふっ笑、なんやそれ!」
母親と二人で泣いてしまった。
闘病生活の中でも、とても印象に残った思い出のひとつです。
このあとも、母は健康面、精神面などたくさん私を支えてくれました。むしろこの病気と一番闘っていたのは母だったのかもしれません。
そりゃそうですが母は今後も結構登場します。🙇♂️
以後お見知りおきを…
P.S.
父すまん。
もちろん支えてくれてたんだろうが、あまり記憶にない。笑
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