少し前から、ラーメン屋の高菜事情が変わってきている。
私はラーメンマニアというわけではないし業界の人間でもないので詳しい事情は知らないが、数年前から辛子高菜が不足しているという。
宮崎では知名度の高い某豚骨ラーメン屋では高菜が有料となり、別の店ではそもそも置かなくなった。
昔からラーメン屋では無料で提供されていた高菜。
ラーメン自体の値上がりもある中、未だ置いてくれているお店には感謝しかない。
(置かないお店が悪い、という話ではない)
私自身は高菜は好きだが、辛子ともなるとそう量を食べるものではないので、少量とって味変に使用するくらいだ。
だいたいの客はそういう使い方をするものだと思う。
しかし数ヶ月前、とあるお店で少しショックな張り紙をみた。
「大量に高菜をとって残される方がいるため、高菜の提供をやめました」
こういうふうな内容の張り紙だ。単純に怒りを覚えた。
わざわざ理由を書いて張り紙をしているのだから、一度や二度のことじゃないだろう。
仮に好みに合わなかったり、辛すぎたりなどあったのかもしれないが、そもそもいきなり最初に大量に取るものじゃない。
正直そんな客が存在することに「ほんとか?」と思ったが、それからしばらくして例の飲食店炎上事件(心無い客によるお店に対するテロ)が連発して起きるのを見ると、「いや、嘆かわしいがそういう時代になったんだろう」と納得してしまった。
もちろん昔からそういう輩は一定数はいたんだと思う。
それが今は飲食店は数を増やし、外食が贅沢ではなくなった時代、客となる母数や層も増え、酷い事件は悪目立ちするようになったのだろう。
他人が口にする可能性があるものを鼻につっこんだりとか悪ふざけ自体許されないが、それらを自らネット上にあげようとする動機は怒りよりもまず「同じ人間か?」と呆れてしまう。
そんなものが評価され自己承認欲求を得られるのか?
みんなが楽しんでくれると思えるのか?
それが教育のせいなのか時代による価値観の変化なのか分からないが、
「子供だから大目にみてよ。将来を潰さないで」
とか言ってしまうのはあまりにも想像力が足りないと言わざるを得ない。(店の損益といった話はとりあえず置いといて)
個人の意見の良し悪しでなく、世間は否応なくそのできごとをジャッジする。
いくら善人ぶった一部大人が庇っても、共感や同意を得られない擁護は防波堤の意味をなさない。
ネットによる吊し上げは良くないと言われるがそれも全くその場限りの発言だ。
そういうテロ行為をする人間が明らかになるのと同様に、ジャッジされ晒される世の中になってしまったのだから。
だれもが動画を上げることができる、そして動画を見られるという、いい意味でも悪い意味でも名前が知られる世の中になった。
客はお店を選ぶことができるが、お店によっては店が客を選ぶような流れもある。
店や客、という軸でなく、そもそも一人の人間としての振る舞いを見直さないといけないし、その機会は本来増える筈なのだが教えられる機会自体は恐らく減少しているのだろう。
こんなどうでもいい長文をなんの力もない私が書いたのは、私自身が飲食店で不快な思い(他の客の行動で)をすることが増えてきており、私自身が害悪な存在に陥らないように自戒の念を込めてなにかに残しておきたくなったため。