まだ大丈夫」と言い続けてきた私が、やっと気づいたこと

今朝、95歳の姑に朝食を運びました。

ここ数日、食欲が落ちていたので、卵粥を作りました。

今日は総合病院を受診する日でした。

先日の血液検査でカリウムがかなり高くなっていたこともあり、もともと予約していた呼吸器科だけではなく、総合診療科でも診てもらえるように段取りをしていました。

介護タクシーの時間も早めてもらいました。

朝食を置きながら、

「今日は病院に行くよ」

と姑に伝えました。

返ってきた言葉は、

「いかなあかん?」

でした。

そして、

「95まで生きさせてもらったんやから、ポックリ逝きたいと思ってるのに」

と話し始めました。

その言葉を聞いた瞬間、私は怒ってしまいました。

「私たち家族は、お母さんのために仕事を段取りして時間を作ってるんやで」

話しているうちに涙が出てきました。

私は姑が好きかと聞かれたら、好きだとは言えません。

長い間一緒に暮らしてきて、腹が立ったことも、嫌だったこともたくさんあります。

それでも、大切には思っています。

具合が悪ければ心配します。

食べられなければ、何なら食べられるだろうと考えます。

病院へ行く必要があれば、仕事を調整して段取りします。

だから私は、姑に感謝してほしかったわけではないのだと思います。

ただ、自分のことをもう少し大切に思ってほしかった。

95歳まで生きてきて、今も自分でトイレに行ける。

自分の思いを言葉にできる。

食べられる量は減っても、自分の口から食べることができる。

そして具合が悪くなれば、心配して病院へ連れて行こうとする家族がいる。

「死ぬことより、今生きていることを大切にしてほしい」

私は、そんなことを伝えたかったのだと思います。

でも、そのあと不思議なことに気づきました。

姑に言った言葉は、そのまま私自身に向ける言葉でもあったのです。

私はずっと、自分を大切にしてきただろうか。

考えてみれば、違いました。

体調が悪くても、

「まだ大丈夫」

と言い聞かせてきました。

仕事が休みの日でも、家族の食事を作るために起きました。

買い物に出掛けても、お昼ご飯を作るために時間を気にして帰りました。

自分が具合の悪い日にも、姑の食事は用意しました。

私が仕事で救急搬送に付き添い、何時に帰れるか分からないと夫に連絡したときでさえ、

「ご飯はどうするんだ」

と聞かれたことがあります。

以前の私は、それでも何とかしようとしていました。

妻だから。

嫁だから。

家族だから。

私ができるから。

いつの間にか、家族の都合に合わせて自分の時間を使うことを当たり前だと思っていました。

それどころか、自分を後回しにして誰かのために動けることを、美徳だと思っていたのかもしれません。

でも、少しずつ変わりました。

あるとき夫に、

「あなたに合わせていられないから、早く食べたいなら自分で準備してください」

と言いました。

最初は怒っていました。

それでも私が以前のように動かなかったら、夫は自分で冷凍食品を温めて食べるようになりました。

今では、それが当たり前です。

私は休日の朝、夫の食事のために起きなくてもよくなりました。

買い物を昼食の時間に合わせて切り上げる必要もなくなりました。

そして今回、姑の食事についてもレトルトのお粥やおかずを準備することにしました。

食べたい時間に、自分のペースで食べてもらえばいい。

薬については、重複して飲んでしまう可能性があるので家族が管理する。

でも、できることまで全部こちらが引き受ける必要はありません。

ここまで考えたとき、私は姑と自分には似ているところがあることに気づきました。

姑も家族のために、いろいろなことをしてきた人です。

そんな姑を見て私は、そこまでしなくてもいいのにと思うことがありました。

でも振り返ってみれば、私も同じでした。

家族が困らないように、自分から動いてきました。

以前の私は、相手が困っていると、自分が何とかしなければと思っていました。

でも、どれだけ相手のためを思って行動しても、その人の人生まで代わりに生きることはできません。

それぞれに、自分で考え、自分で選ぶことがあります。

私が何もかも引き受ける必要はない。

今になって、そう思えるようになりました。

もしかすると私は、姑との長い生活の中で、そのことを教えてもらったのかもしれません。

最近は、夫が声を荒らげて、

「俺は知らない」

と言っても、

「あなたのことだから、私も知りません」

と言えるようになりました。

姑のことについても、

「お母さんのことは、あなたが考えてください」

と夫に返せるようになりました。

冷たくなったわけではありません。

必要なことはします。

でも、必要ではないことまで背負わない。

そして、もう一つ大きく変わったことがあります。

私は、自分の感情に罪悪感を持たなくてもいいと思えるようになりました。

腹が立った。

嫌だった。

もうしたくない。

この人が好きではない。

そんな感情が出てきてもいい。

「私はこう感じた」

まずは、それをそのまま受け止めればいい。

その感情を相手にぶつける必要もありません。

相手が私に何を言ってほしいのか分かっても、その期待に応える言葉を選ばなくてもいい。

自分の正しさを分からせようとして、相手に勝つ必要もありません。

自分の感情を認めたあとで、

「では、私はどうしたい?」

と自分に聞けばいい。

私は、人の感情を敏感に感じ取ってしまうところがあります。

相手が怒っている。

困っている。

きっとこの言葉を期待している。

そんなことを感じるたびに、自分が何とかしなければならないような気持ちになっていました。

でも今は、

感じ取ることと、引き受けることは違う

と思っています。

相手の感情は相手のもの。

私の感情は私のもの。

そして、私が何を言い、何をして、何をしないのかは、私が決めていい。

特別な出来事があって、突然こうなったわけではありません。

ただ、今まで当たり前だと思っていたことを、

「これって、本当に当たり前なの?」

と思えるようになっただけなのです。

家族のために自分を後回しにすること。

具合が悪くても「まだ大丈夫」と動き続けること。

相手が不機嫌にならないように自分が折れること。

誰かが放り出した責任を自分が拾うこと。

それを私は長い間、

優しさ。

家族への愛情。

そして、美徳だと思っていました。

でも、誰かを大切にすることと、自分を犠牲にすることは同じではありません。

誰かを助けることと、その人の人生まで背負うことも違います。

今朝、姑に、

「今生きていることを大切にして」

と言いました。

でも本当は、あの言葉を一番聞く必要があったのは、私自身だったのかもしれません。

私はずっと、

「まだ大丈夫」

と言いながら生きてきました。

これからは少し変えようと思います。

「まだ大丈夫だから頑張る」

ではなく、

「まだ大丈夫なうちに、自分を休ませる」

人を大切にするように、自分も大切にする。

今からでも遅くはありません。

自分の時間を、自分の人生を、少しずつ自分の手に戻していこうと思います。