押し入れの奥に眠っていた、もう一人の私
昨日の受診の疲れもあって、今日は昼前まで寝ていました。
午後から寒くなったので、膝掛けを出そうと押し入れを開けました。
すると、奥に一つの段ボール箱がありました。
何を入れていたのか、まったく覚えていません。
開けてみて驚きました。
中には、タグのついた洋服がたくさん入っていました。
サイズもバラバラ。
そういえば昔、手芸に使う気に入った布が見つからず、好きな柄の洋服を買い集めていたことがありました。
着るためではなく、布として使うために。
そのことさえ忘れていました。
箱の中を見ているうちに、涙が出てきました。
私は、自分の好きなことまで封印していたんだ。
仕事が忙しいから。
家事があるから。
作る時間なんてないから。
そうやって自分に言い聞かせ、押し入れの奥にしまい込んでいたのです。
私は、どれだけ我慢して生きてきたのだろう。
悲しみと、自分に対する怒りが込み上げてきました。
私は、縫い物も編み物も大好きでした。
布を見ながら、何を作ろうかと考える。
それだけで楽しかったのです。
今日、久しぶりに布を広げると、次々にアイデアが浮かびました。
バッグの底はこの布にして、真ん中は編み物にしようかな。
上の部分はまた布にしたら面白いかもしれない。
スラッシュキルトにしても素敵だろうな。
想像がどんどん膨らんでいきました。
そのとき、昔、医師から言われた言葉を思い出しました。
「アイデアばかり浮かんで、作品が完成しないのは病気だから」
当時の私は、その言葉を疑いませんでした。
そうなのかもしれない。
そう受け止めていました。
でも、今は少し笑ってしまいます。
私は、何かを創造することが好きだったのです。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
以前の私は、作品を作ったら誰かに見せたい、評価してもらいたいと思っていました。
ただ作って終わりではいけない。
何か別の価値に変えなければならない。
そんな思いがあったのです。
昔、生花やフラワーアレンジメントが好きで、資格を取るほど夢中になったこともありました。
でも、資格を取ると、今度はそれを収入につなげなければと思うようになりました。
すると、あんなに好きだったことが、楽しくなくなってしまったのです。
今なら、その理由が少しわかります。
私はずっと、仕事ができない自分には価値がないと思っていました。
だから、好きなことをする時間にさえ、何か意味や成果を求めていたのでしょう。
楽しむだけではいけない。
役に立たなければならない。
何かを生み出さなければならない。
そんな思いで、自分自身を縛っていたのだと思います。
考えてみれば、私の中には、
「ただ楽しんでいい」
という言葉がなかったのです。
楽しいことにも、いつも理由をつけていました。
今日は、洋服を解いて布に戻し、整理しました。
まだ手は痛みます。
体力も十分ではありません。
何かを作り始めても、完成できるかどうかわかりません。
でも、それでいいと思いました。
布を眺めながら、何を作ろうかと想像しているだけで幸せだったのです。
誰かに見せるためでもない。
売るためでもない。
何かの役に立てるためでもない。
ただ、私が楽しいから。
それだけで十分でした。
家族から見たら、今日は何をしていたのだろうと思われるような一日だったかもしれません。
昼前まで寝て、午後から古い洋服を引っ張り出して、解いていただけ。
でも、私にとっては、とても大切な一日でした。
押し入れの奥に眠っていたのは、古い洋服だけではありませんでした。
そこには、長い間忘れていた、創造することが大好きな私がいたのです。
そして、今日ようやく気づきました。
好きなことを、何かの価値に変えなくてもいい。
楽しむことに、理由はいらない。
66歳になって、病気で仕事を休むことになり、ようやくそんな当たり前のことに気づきました。
これまでの人生を後悔しているわけではありません。
あの頃は、あの頃の私なりに、一生懸命生きてきたのですから。
でも、これからは少し違う生き方をしてみたい。
何かを成し遂げなくてもいい。
誰かに認めてもらわなくてもいい。
ただ、自分が心地よいと思う時間を大切にしたい。
今日見つけた布で、いつか何かを作るかもしれません。
何も作らず、眺めて楽しむだけかもしれません。
それでもいいのです。
私の人生なのだから、私が楽しいと思うことを、ただ楽しんでいい。
押し入れの奥にあった小さな段ボール箱が、今日、そんな大切なことを教えてくれました。