施設は「管理する場所」ではなく、「暮らしを支える場所」であってほしい
私は特別養護老人ホームで看護師として働いています。
最近、仕事をしながら、あることを考えるようになりました。
施設は本当に「生活の場」になっているのだろうか、と。
もちろん、施設には多くのルールがあります。
感染対策。
事故防止。
誤嚥予防。
どれも大切で、利用者さんを守るために必要なものです。
だから私は、ルールが悪いと言いたいわけではありません。
でも、そのルールが積み重なることで、「その人らしい暮らし」が少しずつ失われているように感じることがあります。
ある入所者さんは、毎朝パンとヨーグルトを食べることが長年の習慣でした。
施設では朝食のパンは週に一度。
ヨーグルトは管理の問題があり、毎日食べることはできません。
また、遠くに住むご家族と携帯電話で話していた方も、施設では自由に電話をすることが難しくなります。
自宅では当たり前だった日常が、施設に入った途端に当たり前ではなくなる。
それが本当に、その方のためになっているのだろうかと考えてしまいます。
先日、入浴介助の時のことでした。
着替えは入浴の日だけ。
洗濯した同じ服をまた着る。
その中には、色あせて傷んだ衣類もありました。
ある職員が、
「何、この汚いシャツ。」
と大きな声で言いました。
すると利用者さんは、小さな声で、
「買って下さい。」
と答えられました。
私は胸が苦しくなりました。
必要なら衣類を準備する方法はいくらでもあります。
担当職員から相談員へ伝え、ご家族へ相談する。
施設に一任されている方なら施設で準備する。
問題は衣類ではありません。
その方の尊厳です。
そして、もう一つ気になることがあります。
暑い日でも厚手の服を着ている方がいます。
私は気づけば、
「帰ったら涼しい服に着替えさせてください。」
とお願いしています。
衣類は単なる布ではありません。
その人の快適さであり、その人らしさでもあります。
一方で、私は施設という場所が大好きです。
病院では叶えられないことが、施設では叶うからです。
先日退所された胃瘻の方のご家族は、
「病院ではなく、医療ができる施設で過ごしてほしい。」
そう希望されました。
「お風呂に入れてあげたい。」
「普通の生活を送ってほしい。」
それがご家族の願いでした。
施設では終末期の方でもお風呂に入り、人のいる場所へ出て、レクリエーションの雰囲気を感じることができます。
それは病院では難しい、「暮らし」です。
だから私は思うのです。
施設には、大きな力があります。
その力をもっと信じてほしい。
安全を守ることも大切です。
でも、安全は目的ではありません。
目的は、その人がその人らしく暮らし続けること。
ルールのために暮らしがあるのではなく、暮らしを守るためにルールがある。
私は、そう思っています。
これから日本はさらに高齢化が進みます。
施設はますます必要とされるでしょう。
だからこそ、私たちは問い続けたいのです。
「もし自分がここで暮らすとしたら、どんな毎日を送りたいだろう。」
その答えの中に、これからの特別養護老人ホームの姿があるような気がしています。