人として大切にされること
今日、肺炎で入院された入所者さんのことを考えていました。
この方は、言葉で自分の気持ちを伝えることが難しくなっています。
でも私は、
こちらの言葉は理解している
と思っています。
声をかけると目が動く。
看護師である私を認識している。
吸引や口腔ケアも受け入れてくれる。
言葉にならないだけで、
ちゃんと周りを感じているのです。
この方は、ご主人を早く亡くされ、
一人で5人の子どもを育ててこられました。
トラックの運転手として働き、
懸命に人生を生きてこられた方です。
その後、
息子さんから経済的虐待を受け、
行政措置で養護老人ホームへ。
さらにコロナ感染をきっかけに寝たきりとなり、
特養へ入所されました。
人生には、
本当に様々な出来事があります。
それでも、
この方は生きてこられました。
私は時々考えます。
人は何によって生きる力を持つのだろうと。
食事でしょうか。
薬でしょうか。
治療でしょうか。
もちろんそれらも大切です。
でも、
長年看護師として働いてきて思うのです。
人は「自分を見てくれている人がいる」と感じるだけで、生きる力を持てるのではないか。
この方は以前、
外陰部を掻いて傷を作ってしまうことがありました。
介護職は問題行動と考えました。
でも私は、
不快感を訴えることができないだけではないかと思いました。
毎日陰部洗浄を続けました。
すると、
オムツに手を入れることはなくなりました。
問題行動ではなく、
苦痛のサインだったのです。
言葉が出なくても、
身体が動かなくても、
人には思いがあります。
伝えたいことがあります。
だから私は、
その人の人生を知ろうとします。
何を大切にして生きてきたのか。
どんな苦労をしてきたのか。
何に喜びを感じてきたのか。
病気を見る前に、
その人を見ることを大切にしたいのです。
今回入院されたことで、
この方はまた動かなくなるかもしれません。
入院すると、
本当に指先すら動かさなくなることがあります。
でも施設に戻ってくると、
少しずつ表情が戻るのです。
私はその姿を見て、
施設は安心できる場所なのだ
と思います。
誰かが声をかけてくれる。
誰かが自分を覚えていてくれる。
誰かが自分のことを気にかけてくれる。
それだけで人は安心できるのだと思います。
どんなに身体が不自由になっても、
どんなに言葉が出なくなっても、
どんなに病気が進んでも、
人として大切にされること。
それが人の希望につながるのではないでしょうか。
私はそう信じています。
そしてこれからも、
病気だけではなく、
その人の人生に寄り添う看護を続けていきたいと思います。