こんにちは

いわゆる自然派と言われる
アラフォーママですニコニコ

“自然派”ってくくりがあまり
好きではありませんぶー

子供に予防接種は一本も打っておらず、小児科にかかる機会もいまのところありませんでした。

現在発達障害疑いの年長男児を自宅保育中

 

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卒業シーズンですね照れ

 

私も

予防接種で悩むママ卒業しました!

 

というのも、予防接種打たないことで悩むことがもうなくなりました!

 

 

子供が来年度から小学生になります。

 

就学前健診を終え、もう予防接種で悩んだり憂鬱になる時期は終わったな〜〜って思いました。

 

 

なんだか子供が成長して、子育ても次の段階に入ったなーと思います。

 

それに伴って悩みも変わってきて、予防接種に悩むことはなくなり今は、発達障害疑いをかけられることで悩んでいます笑

 

 

その悩みというのも周りとはちょっと違ってて

子供は発達検査には引っかかるのですが、わたしは子供の発達にはそれほど悩んでないのです…。

 

 

 

 

 

 

 

確かにおしゃべりとか他よりゆっくりだったり横一列の物差しで測れば遅れているのかもしれないけど、子供の発達は人それぞれで測るものではないと思っていて…。

 

しかもその物差しも、決まった項目だけを見るようなものに感じます。

 

 

“神童もハタチ過ぎればただの人”

 

これって

 

“発達障害も、ハタチ過ぎればただの人”

 

とも言えるのではないか?

 

 

 

 

 

 

発達障害の研究つはまだ発展途上

 

発達疑いを必ずかけられるので、検査を勧められその先には療育へと案内があると思うのですがその勧めを断るというか、このまま今過ごしたいって伝えるそのやりとりに悩むことが今の悩みでしょうか。

(そもそも発達障害なんてものはない、というのが内海先生などが仰られるように私の考えですが)

 

 

 

発達障害や療育というのが一般的になってきたのは割と最近だと思いますが、まだまだこの分野は発展途中とのことをこの著書で詳しく知りました。

(電子書籍もあります↓)

 

 

発達障害と言っても色々な分類が細かくあり、その判定にも明確な診断基準があるわけではないそうです。

 

 

この本の中には、大人になってから発達障害とされてる方達が何人か紹介されています。

その中の一人は、今の時代に産まれなくて良かった、療育なんて受けたくない、私自身を矯正される・・というような雰囲気のことを言っています。

 

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また、どなたかのブログでADHDの大学生の息子さんを持つお母さんのブログで、その息子さんは療育を受け訓練されて育ったようなんですが、おなじくADHD診断の方がADHDらしくADHD全開で過ごしている様子を見て

 

「うらやましい。僕はもうああはできない。抑えることを訓練されてきたから。あんな自由にできたらどんなに良いだろう」

 

というようなことを言っていました。

 

自分の特性はそのままに過ごすことが出来た方が幸せではないのかな?と思います。

 

まだ開拓中のこの分野、解明されてないこともきっとたくさんあると思います。

 

今、わかっている時点でこれが良いとされてることが必ずしも正しいわけではなく、今療育を受けた子たちがどうなっていくのかもまだこれからだと思うんです。

 

 

 

(まるで、治験中のとある注射を連想しました笑)

 

 

 

私が息子を見ていて、まだ小学校行くには早いなぁと感じています。

そして今の発達障害と分類すること自体を否定されてる先生たちもいらっしゃり、こういった本なども読み、わたしもおかしいなぁと思っています。

 

加えて今の戦後から変わらない兵隊を育てるため同じことが出来るようにするような学校教育自体にも疑問を持っていて

 

さらにコロナ禍で黙食やマスクなど私には異様な光景に見えています。

 

 

ということで、発達診断を受けて診断名を下してもらい、申請して公立校の支援クラスに通う、、というのが私にはどうも納得できない汗うさぎ

 

(冒頭でも言いましたが発達障害なんてない・・という考えなのでこの議論自体いらないんですが対外的に話すのにこういうう風に伝えます)

 

と思っていたら、参政党の神谷さんとか武田先生とか、内海先生も行くと○○になる!とか、行かない方が良いくらいとハッキリ言われててうれしーー目がハートと、思いました笑

 そして戦後GHQにより変えられた間違った歴史観や自虐史観、、について学ばせてもらいました。

学校には、、通わせたくないなと思ってしまいます。

(大前提に子供は行かない!!と強く言っています)

 

フリースクールに決めた!と以前書いたけどそれもまだ息子には早く感じているところで、今の生活をとりあえず続けて小さなコミュニティに顔出すところがあるのでそういうの参加しつつ、今度息子のいとこが産まれてくるのでみんなで育てながら一緒に過ごそうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

教育!ってかしこまらなくても、こうやって世間で過ごす親の背中見たりとか生活をいっしょに過ごすことが既に教育なんじゃないかなぁと。

 

常識や道徳って教えられた記憶はないけど当たり前に持ってるもの。これって言われるんじゃなくて過ごす中で自然と身につくもの。

親の背中なんだと思います。

 

親を見れば子が分かる。

子は親の鏡。

 

 

ランドセル買わないことになるとは想像してなかったけど、こういう服も買わないとはな爆笑