怒鳴ればパワハラ?
~過剰なコンプライアンスが本当に守るべき弱者を追い詰める~

SNS等で「学校の教員たちがクレームやコンプライアンスを気にして、子どもたちを注意しにくくなっている」といった教育現場の現状についての意見を目にすると、強い危機感を覚えます。
 

今の世の中は、大声を出したり怒鳴ったりした瞬間、理由も文脈も関係なく「パワハラだ」「不適切指導だ」と外形だけで切り捨てる風潮があまりに強すぎます。もちろん理不尽な暴力などを取り締まることは当然ですが、その反動で、日常の些細な場面でもクレームを恐れ、注意すべきことすら注意できなくなっている現状があります。
 

しかし、人間として絶対に越えてはならない一線を踏み越えた者に対しても、大人は冷静にお行儀よく「叱る」だけで済ませるべきなのでしょうか。
 

例えば、身体にハンディキャップを抱える子をあざ笑い、馬鹿にするような卑劣な言動があったとします。その時、指導者や教師が「それは良くないことだよ」などと淡々と理屈で諭して、事の重大さが本当に伝わるのか。
 

人として許されない悪意に直面した時、大人は本気で「激怒」していいはずです。
 

大人が全身全霊で怒り狂う姿を見せるからこそ、子どもは「これは人間として絶対にやってはならないことなのだ」という底知れないタブーの重さを肌で学びます。そして何より、理不尽に傷つけられた子の前で大人が本気で怒りを爆発させることは、「お前の尊厳は俺が命懸けで守る」という最大の救いと盾になります。
 

それを「怒鳴ったからパワハラだ」と加害側の都合ばかりを配慮し、穏便に済ませようとするのは、被害を受けた者に対する残酷な裏切りであり、大人の責任放棄です。
 

本来、理不尽な暴力などの悪質な暴走を取り締まるはずのコンプライアンスが、いつの間にか教育現場の生身の感情や、弱者を全身全霊で守るための正当な気迫まで封殺してしまっている。
 

表面的な言葉狩りや保身のためのルールに逃げず、踏みにじられてはならない一線を踏み越えた者には本気で雷を落とす。そういう血の通った「本気の大人の怒り」を教育現場から消してはならないと強く感じています。

愛、志、勇気、仁義。武道の道場には、こうした立派な理念がよく掲げられている。

しかし、その道場主の口から出るのは「国会議員が顧問だ」「市長が会長だ」といった、政治家との繋がりを誇示する自慢ばかりだ。
 

彼らが本当に実践しているのは、こういうことではないか。

・権力に対する「愛」

・権力への「志」

・権力者への「仁義」

・権力に頼った「勇気」
 

精神的な強さを説きながら、外部の権威に依存する自己矛盾。このような欺瞞や二重基準を、子どもたちはよく見ている。

なんとも情けない。嘘理念だ。

 

とある客相手の現場にて
客「こんにちは」
発「えっ!」
客「??」
発「・・・沈黙・・・」

客「先日、問い合わせていた九村です」
発「あっ!」
~客は驚く~
発「なんですか?!」

客「何ですかって、用件は伝わってないですか?」
発「えっ、えっ、えっ、、、、、」
客「大丈夫?」
発「は~~~~~~~~い!」

~奥から上司登場~

上司「申し訳ございません、すぐに対応いたします」

 

で、客が帰ってから上司「あんな態度じゃ、ヤバいのがいるって思われてしまうだろが!!」

発「え~~~~ッ!!」

 

上司がいなくなってから発が「俺をバカにした、パワハラだ!」

 

発達の認知能力やばいだろ。

これで他人を責めることができるんだからな。

怖いよ!

 

SNSで、足の不自由な人をバカにするような真似をしている動画が炎上していますね。

足の不自由な人を馬鹿にする女

(注)画像はイメージです

 

酷いと思いますが、例えばの話、もっと怖いのはバカにした態度を取っている本人を厳しく注意したとしたら、注意した方がパワハラと言われかねない事です。(厳しく叱責されて当然のこと)

 

たぶん、本人は悪いと思っていないからこのような言動を取るのでしょうから。

ゆえに、注意されたところだけを切り取ってパワハラと訴える。

 

こんなことすら、まともに注意しにくいご時世こそ恐怖です。

結局、学校でも当たり前のことすら注意されなくなってきているから、こういう輩が湧いてくるようになったのだろう。

厳しく注意してもパワハラ指導ではないというガイドラインにしないと、日本人から当たり前の配慮すら奪うぞ。