ふと、志村けんさんの名作コント『デシ男』を思い出した。 何度も同じ間違いを繰り返す弟子(従業員)に、師匠(上司)あるいは客が「お前バカか!」「もう帰れ!」と怒る。

今の時代なら、パワハラやカスハラとされる危うさがあるだろう。

しかし、あの笑いの中には、現代社会が失いつつある「教育の根幹」があったように思う。

「傷つけないこと」に費やされる無限のエネルギー

今の社会は、あらゆる場面で「無菌状態」が求められる傾向にある。 基本的な間違いを何度も繰り返す相手に対しても、教える側や客の側が「どうすれば傷つけずに伝えられるか」と、無限に気を使わされる。

 

本来、教わる側が「二度と同じミスをしない」と必死になって自己を修正し、足場を固めるべきだ。しかし、今はその負担の多くが「教える側」へと逆転している。これでは、本質的な成長のための「土台」など、いつまで経っても築けるはずがない。

「笑われる、怒られる」という学習の場

「何度も間違えれば、笑われる。あるいは厳しく指摘される。」 かつてのコントは、この当たり前の因果応報を疑似体験させてくれる学習の場でもあった。

「ダメなものはダメだ」という筋の通った厳しさ、そして自分の非を認めて修正する力。 「痛み」や「恥」を過剰に排除しようとする環境では、外の世界へ飛び出した時に通用しない。

(今は「パワハラだ」と逆ギレを武器に、なし崩し的に通用?してしまっているが)

単に過去を懐かしむのではなく、その裏側にあった「人間を一人前にするための厳しさ」を、今こそ見直すべきではないだろうか。

「パワハラ」が低能の防衛兵器になった

「パワハラ」という言葉が、本来なら必死に努力して追いつかなければならない層にとっての「努力から逃げるための免罪符」として機能してしまっています。

昔: できないことを厳しく指摘され、悔しさをバネに食らいつくことで、平均以下の能力だった人も「社会で通用するレベル」まで引き上げられていました。

今: 指摘された瞬間に「パワハラ」と騒げば、指導する側が沈黙します。結果、その人は「できないまま」放置され、社会のお荷物として切り捨てられることになります。これこそが本当の不幸です。

 

知的能力の「底上げ」機能の喪失

日本の強さは、エリートがすごいことではなく、「普通の人、あるいは少し苦手な人でも、叩き上げられて一定のプロになれる」という底上げにありました。

漢字の書き取り、算数の反復、部活の規律。これらはすべて「脳に負荷をかける作業」です。

この負荷を「可哀想」「パワハラ」という言葉で排除した結果、今の日本には「自分の弱さと向き合えない、論理思考ができない弱体化した大人」が大量生産されてしまいました。

 

 社会の「質の低下」を招く負の連鎖

義務教育レベルの言葉を知らない、格助詞も使えない、論理も通じない層が増えれば、組織は崩壊します。

指導すれば「パワハラ」、放置すれば「無能」。この板挟みで、優秀なリーダー層が疲れ果て、日本全体の生産性が溶けていく。

「厳しさ」を悪と見なす思想は、結局、日本という国家の「知の防衛線」を内側から爆破しているのと同じです。

「憤り」を、建前抜きで書かせてください。

 

皆さんの住む街でも、こんな光景を目にしませんか?

少年サッカー、野球、空手、柔道……。子供たちが「愛」や「勇気」、「志」といった綺麗な言葉を掲げて汗を流しているその場所で、なぜか「顧問」や「役員」として地元の有力政治家や市長がどっぷりと名前を連ねている光景です。

大会に行けば、試合を前に集中している子供たちを炎天下や寒い体育館に立たせたまま、政治家たちが延々と実績アピールを含んだ長い挨拶を述べる。

 

子供たちは、政治家の顔を見に来たわけでも、話を聞きに来たわけでもありません。ただ自分たちが取り組んでいるスポーツを純粋に楽しみ、全力でプレーしたいだけなんです。そこに政治家がやってきて、自己満足のような挨拶を延々と聞かせる。それは子供たちのための時間ではありません。

指導者側の「政治家とつながってるアピールの場」にもなっている。みっともない。

 

1. 政治家が「顧問」にならないと動かない異常

ここで、当たり前すぎる「正論」を言わせてください。

本来、政治家が「子供たちのスポーツ育成」を本当に考えているのなら、特定のチームや連盟の役職に就いていようがいまいが、動くのが仕事のはずです。

「子供たちのための大会を開きたいが、会場確保ができなくて困っている」

「地域全体でスポーツ環境を整えたい」

そういう声が上がったとき、特定の「身内」だけを優遇するのではなく、地域全体の子供たちのために会場確保や環境整備に奔走する。それが政治家本来の役割であり、住民から託された願いではないでしょうか。

 

2. 「特定のチームや連盟」への執着が生む不公平

なぜ、彼らはこれほどまでに特定のチームや連盟の椅子に座りたがるのか。

それは、そこに座ることで特定の団体だけに「便宜」を図って恩を売り、選挙の時期になれば指導員や保護者を「票田」として借り出すため……そう見られても仕方のない癒着が、あちこちで起きています。

そして、なぜ現場の大人がそれを許すのか。結局のところ、その競技連盟の役員や団体の長が、自分が政治家と太いパイプで繋がっているという事実を周りに見せつけたいだけではないでしょうか。 自分のメンツや影響力を誇示するために、子供たちの大会を「政治家への接待の場」に変えてしまっているのです。

 

3. 「骨抜き」にされる教育の現場

教育の場では「正義」や「誠実」を教えながら、裏では利権にまみれた大人たちが、自分たちの都合のいいように便宜を融通し合っている。

そんな大人の「ご都合主義」を、子供たちは敏感に感じ取っています。

 

結論:スポーツを政治から取り戻したい

私は、特定の政党を批判したいわけではありません。ただ、「子供のスポーツを政治の道具にする、この古くて汚い構造」を、いい加減ぶっ壊してほしいだけなんです。

「顧問の顔色」をうかがう大会ではなく、子供の努力や子供の成長こそが指導者の証であるという、正当な評価がなされる社会へ。

 

大会が大きいとか小さいとかいう問題ではなく、子供の成長こそが指導者の評価を測る最優先事項になってほしいのです。

指導者であれば、アンフェアな特権にしがみつく時間があるのなら、その全てを子供の育成だけに集中してほしい。子供たちが取り組んでいるスポーツに対して「精廉さ」や「良心」を持っているのであれば、今すぐそのような不透明な縁は切るべきです。

 

皆さんの街のスポーツ現場は、本当に子供たちにとって「フェア」だと言い切れますか?

以前書いた「発達障害?字がやばい」の続きです。

発達障害の汚い字

「字の事まで言うなんてパワハラだ!」と字が異常に汚い発達君の主張について。

 

●似た状況のYOUTUBE動画がありました。

↓こちらリンク

ひらがな書けない新人、現る

 

動画内の説明:新入社員の字のことについて事業部から人事部に苦情が寄せられたそうです。

「もしお客様の目に触れることがあれば、会社の信用問題に関わる」という意見が大半だったそうです。

日本人が書いたものとは思えないほど字が汚い、ほとんどひらがなではそうだろう。

 

さて、続き。

この動画の事例と同様に、発達君はお客様の問い合わせメールへの返答も全てひらがなで書いていたこともあったそうです。

上司が「これではお客様からなんて思われるか」と注意したら、発達君はさらに「パワハラ+侮辱だ」と文句を言っていてそうで。

ただ、これではやはりバカだと思われるし、異常な字体で案内文を書かれたら客は不信感を抱くだろう。

それを注意して侮辱となるなら「会社・店舗が潰れても発達君とともに働いてくれ」という事と同義にならないか。

もはや、理解するとかフォローするとかのレベルではないんだよ。

発達君、客や取引先に対しての言動がやばい。

問いかけに対して全て「え?」「あ”っ!」

女性に対してデリカシーもない。

体の不自由な客に対して「治んないんすか~?」等。

(たぶん発達障害かグレーかな?)

 

上司が注意すればパワハラと騒ぐ。

対人の必要のない事だけやらせる・取引先に無礼な言動をするとマズいから接待や懇親会等も出席させられない。

すると今度は「自分に何もやらせてくれないパワハラ」と騒ぐ。

選択肢がありません。

発達を引いたら終わり。

 

理解し共に仕事はできません。

そういえば逆パワハラの訴訟がありましたね。

上司側の勝ち。

こういう職場破壊のような発達を即クビにしても不当解雇にはならないという制度が必要ではないか。


あとは、バイトテロと変わらない発達の客に対する言動も法的に訴えることができるように。発達だから仕方ないではない、サービス業でこの様な言動は命取りにもなる。