シューベルトの歌曲集『冬の旅』を聴きます。
夏に向かおうとしてるのに『冬の旅』はおかしいかも知れないですね。
俳句だったら季違いで俳句の先生にお小言喰らうかも知れませんね(笑)。
でもどうしても、『冬の旅』を聴きたくなったので聴かせて頂きます。
シューベルトの有名過ぎずくらい有名な彼の3大歌曲集の1つ。詳しいことは、ネットや書籍に譲ります。
今日聴いたのは、ハンス・ホッターが名伴奏者で名高いジェラルド・ムーアと1954年に録音した演奏です。
第1曲の「さすらい」からホッターのどす黒い(大いに語弊がありますが)、存在感のある心にぐっすり、野太いどっしり差し込んで低音の魅力が心に飛び込んで来て、そして響きます。
そして、彼の心に染み入る低音がシューベルトの神がかった美しいメロディーを詩の意味合いと共に心に胸に響いて来ます。
それは、『冬の旅』全曲に言えます。
ホッターとは、バイロイトの常連で、ヴォータンと言えばホッターです。ヴォータン=ホッターと言っても良いかもです。伝説で、レジェンドのホッターのヴォータンです。
そんなヴォータンを歌うホッターではなく、肩の力を抜いてシューベルトの書いた無類の美しいメロディーを彼自身が楽しむように歌っています。
こんなフラットなソフトなホッター、聴き物です。
しかも、曲によってはチャーミング。野太い声が、逆にそう聴こえます。
しかも、曲によってはチャーミング。野太い声が、逆にそう聴こえます。
フィッシャー・ディースカウのこれまた神がかったハイ・バリトンの美しい歌唱が巨人のように聳え立っています。永遠の『冬の旅』の歌唱です。
対極の歌唱としてホッターの歌唱が存在します。
歌詩に書かれた詩を大事に大切にしたメロディーを付けたシューベルトに感服します。
歌詩に書かれた詩を大事に大切にしたメロディーを付けたシューベルトに感服します。
人類の知的遺産です。それは、シューベルトの作曲した全ての歌曲に言えます。
やはり、彼も天才です(クラシック音楽の作曲家は、大概そうですが)。
そして、ムーアの伴奏。
どんな歌手にも、常に寄り添いその歌手が歌い易いように、その歌手がよりスポットライトが当たるようにあくまで伴奏者として、自己主張は皆無であり、脇役に徹して目立たないように誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせてくれます(さにありながら、伴奏のピアノの素晴らしさを知らしめています)。
どんな歌手にも、常に寄り添いその歌手が歌い易いように、その歌手がよりスポットライトが当たるようにあくまで伴奏者として、自己主張は皆無であり、脇役に徹して目立たないように誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせてくれます(さにありながら、伴奏のピアノの素晴らしさを知らしめています)。
伴奏だけ切り取ってムーアだけのピアノが聴きたいです。
それだけ、味わい深い伴奏、ピアノを聴かせてくれます(彼のシューベルトのピアノ・ソナタでも聴きたいな)。
それだけ、味わい深い伴奏、ピアノを聴かせてくれます(彼のシューベルトのピアノ・ソナタでも聴きたいな)。
この2人の『冬の旅』、フィッシャー・ディースカウの共に両巨頭として不動の位置に存在する永遠だと思います(僕だけかも知れませんが)。
とにかく、全てがシューベルトであり、全てがシューベルト音楽の素晴らしさを物語っています(しかも、伴奏は共にムーアです。但し、フィッシャー・ディースカウは、伴奏のピアニストは、時々によって変わってます)。
とにかく、全てがシューベルトであり、全てがシューベルト音楽の素晴らしさを物語っています(しかも、伴奏は共にムーアです。但し、フィッシャー・ディースカウは、伴奏のピアニストは、時々によって変わってます)。
『冬の旅』を聴くにあたって、絶対に外せない絶対に聴くべき演奏です。絶対に。