R.シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』を聴きます。 
 
彼の数多くある交響詩の1曲で、映画やCM等のBGMで使われるのでお聴きになったと思います。それも冒頭の2分ぐらいだけ(笑)。 

どうしても、ニーチェの哲学書を思い浮かべます。仕方ないことです。 
『ツァラトゥストラはかく語りき』の世界を身近にしてくれる内容のある魅力ある音楽だから、思い浮かべるのも当然と言えば当然のことです。 
まぁ、硬い難解なニーチェの哲学書『ツァラトゥストラはかく語りき』
を読むより、シュトラウスの音楽でこの哲学書の世界を訪れた方が得策(笑)かと思います。 

今回聴いたのは、ピエール・ブーレーズが1996年にシカゴ交響楽団を指揮して録音した演奏です。 

当時、僕はドイツ・グラモフォンもブーレーズに録音させる楽曲が乏しくなったのでマーラーの次は、R.シュトラウスやブルックナー(交響曲第8番)まで手を出したかと思いました。 
マーラーは、全集まで到達しましたが、R.シュトラウスもブルックナーもブーレーズに不釣り合いだったのかシリーズ化されませんでした。 
ブーレーズにも不得手、不似合いの作曲家が、あったと言うことですかな。 

この『ツァラトゥストラはかく語りき』の演奏も学究的で楽譜にある全ての音が鮮明に顕微鏡で覗くが如く、ブーレーズの指揮により世界最高峰の機能を保有するシカゴ交響楽団を駆使して演奏されてます。 

R.シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の楽譜を片手に聴く分には最適で、見事な演奏となってます。 

楽譜に書かれている各楽器の鳴っている場面、使われ方が、図鑑を見てるようにブーレーズとシカゴ交響楽団が演奏して教えてくれ、楽しませてくれます。 

ただ、物語性を重視した交響詩として『ツァラトゥストラはかく語りき』を捉えたら、ブーレーズの演奏にはそれが、残念ながら乏しい。 

やはり、物語性の面白さから言ったら「い」の1番に来るのがカラヤンの何種類かある演奏です。
その他にも物語性を強調し、共感を得られる指揮者の演奏は沢山あります。 

だからと言ってブーレーズの演奏を貶しているのでは、決してありません。 
先程も述べましたが、楽譜を片手に譜面を追いながら『ツァラトゥストラはかく語りき』を聴くと、誰の指揮者の演奏では味わえないR.シュトラウスの音楽を楽しませてくれます。 
演奏としては申し分ありません。