うちには十坪ほどの小さな庭がある。
東京23区内だが、まだ地価がそれほど高くないときに建てられたためか、割とゆったりとしたつくりになっているのだ。
冬になると、その庭が少しだけ賑やかになる。スズメ、メジロ、ジョウビタキ、シジュウカラなどがやってくるのだ。
近くに大きな公園や水路があるので、鳥たちはそこから足を延ばして散歩にくるのかもしれない。
ジョウビタキは、バードウォッチャーの間で、ジョビ男・ジョビ子と呼ばれているらしい。公園にいくと、その愛嬌のある姿を求めて、カメラを構えたおじさんたちが待ち構えている姿を目にする。
僕も、はじめてジョビ子をみたときは、自分の目を疑ったものだ。まるでポケモンのキャラクターのようで、よくぞ自然界にこんな生き物がいるものだと思った。
犬猫に比べると知名度は今ひとつだが、あの姿をみれば、もっと人気が出てもよさそうなものである。
【Fig.1】自宅近くの公園でみつけたジョビ子

小鳥のほかに、キジバトなんかも庭によく土をつついている。冬は食べ物が不足しているので、ご新規開拓ということで、いろんなところに現れては、新しい餌場を探索しているのかもしれない。
イソップ童話にアリとキリギリスの話があるが、野生動物にとって冬場は大変な時期だと感じる。
人間も例外ではなく、昔は冬になると、今よりずっと食べ物に苦労したのだろう。ヨーロッパで胡椒が珍重されたのも、そんな事情と無関係ではなかったらしい。
そんなことを考えると、庭に来る鳥たちも、冬はなかなか大変なのだろう。
小鳥を眺めていると、子供の頃のことを思い出す。
随分前のことになるが、僕は子供のころ小鳥を飼っていた。正確には、父親が買ってきた小鳥だった。
父は動物好きだった。インコやジュウシマツから始まり、熱帯魚や犬まで次々と家に連れてくるのだが、しばらくすると興味を失ってしまう(泣)。
そして気がつくと、動物の世話はいつのまにか家族の仕事になっていた。
あるとき、飼っていた小鳥が卵を産み、卵から雛が生まれた。
そして、僕には雛に粟を食べさせていたときのことが強烈な印象として残っている。
小鳥の雛は、まだ自分で食べることができない。そのため、蒸して柔らかくした粟を器に入れ、雛を握って、器に頭を近づけて食事をさせる。
「食べる」という行動は、誰から教わらなくても、自然に備わっているものらしい。そのときも、雛はものすごい勢いで頭をピストン運動させながら、あっという間に器の粟を平らげていた。
気が付くと雛の胸のあたりが大きく膨らんでいて、皮膚の向こうに食べた粟がいっぱいに詰まっているのがみえる。僕はその様子が面白くて、粟が詰め込まれた胸の部分を触っていた。しかし胸を触る手加減が強すぎたのか、雛が急に大人しくなり、そのまま死んでしまったのだ。
子どもながらに、そのときのことはよく覚えている。申し訳ないことをしたと思った。
あれ以来、小鳥の雛を見ると、妙に落ち着かない気分になる。それが罪悪感なのか、ただの思い込みなのか、自分でもよく分からない。そして、その時からか、僕は生き物を飼ったり育てたりすることに対する苦手意識があるまま、現在に至っている。
小鳥の話を書いていたつもりが、妙な昔話を思い出してしまった。
いずれにしても、ペットショップから小鳥を連れてくるよりも、うちにくる野鳥たちにお裾分けをするほうが、自分にとっても動物にとっても、害は少ないだろう。
そんなわけで、あるとき思い立って、東屋風の餌場を作り、生垣に仕込んだ。
野鳥保護などという高尚な志があったわけではない。むしろ、野生動物に餌付けをすることの是非もある。
ただ、うちの庭にあの小さな緑色の鳥が毎日来てくれたら面白いだろうと、冬の間だけなら小鳥たちのために餌場を作っても罪にはならないだろうと思ったのである。
そんないきさつで、僕と小鳥たちの交流の場を作ったのが始まりだった。
いまでは、冬になるとメジロのつがいがみかんをつつきに来てくれている。
最初はみんな仲良く餌を分け合ってくれているのかと思っていたが、そこはやはり厳しい自然界。メジロの餌場にヒヨドリが現れ、バトルが始まったりと、狭い庭の中でもドラマが進行している。
人間から見ればたった十坪の庭だが、小鳥たちにとっては案外広い世界なのかもしれない。
ここでは、そんな小さな自然の一コマをご紹介できればと思っている。