「まち」と言うのは突然ポコンと出来るわけでは無くて、本当であればゆっくりと作られるもの。山際の平地や、船を使える海や川のそば。古くからの街並みはそれらの便利な場所に人々が集まり、とても長い時間をかけて形成されてきた。

 

 だから普通はまちの出来上がるようすを、つぶさに見ることなんてまずありえない。

 

 震災後の集団移転に向けた復興工事で、被災地ではものすごいスピードで「まちづくり」が進められた。場所によっては山を削って土砂を運び出し、大きな平場を造成するところから始まる。住宅だけでなく生活インフラも学校も病院も、線路も駅もすべて新しく作り替えられるなんて、そんな目まぐるしい変化を見たのは驚きだった。

 

 僕は震災前のこのまちを知らない。僕が来た時はもう破壊されていて、色彩を失くした茶色い一面の景色と、悲しみと絶望に満ちた重い空気ばかりが印象に残っている。

 

 でも破壊されたあの光景から、新しいまちがつくられてゆく様子はずっと見ることができた。

 

 ちょうど震災から5年が経ったころ。もうすぐ引き渡しになる予定の集団移転の造成地に、さいの目に並んだ宅地が広がっていた。赤土がむき出しで建物はなにも無くて、やけに目立つ電柱だけ立っている。

 

 そのそばで作業をしていたある日曜日、僕は一休みして腰を下ろしていた。

 

 工事現場もお休みで、ほかに誰もいない静かな造成地。あるとき一台の乗用車がやって来て停まった。車から降り敷地の中に入って行った夫婦らしき二人が、何もない地面を指さして何か話しているようだ。

 

 そうか。日曜日で工事現場が休みだから、引き渡される宅地を見に来ているんだ。ここが庭でここが玄関でって、花を植えようとかって話しているのかな。

 

 二人は一時間程も立ち話をしながら、まっさらな宅地を眺めていた。

 

「こんにちは」と遠くから声をかけると。

「ご苦労様です」と答えてくれた。

 

 もう少しですね。帰る家が出来ますね。少しずつ希望が見えはじめたあの頃を懐かしく思い出す。

 

 この前、そのお宅の前を通りかかった時、「こんにちは」と声をかけたら、「こんにちは」と答えてくれた。でもきっと、あの日の人だとは気づいていないだろうな。