かみさんと二人で農家のお手伝いに行って、田んぼの畔の草刈りをした。とても暑い時期だったから、刈払い機を担いで歩くだけでも重労働だ。すぐに汗びっしょりになってバテてしまう。

 

 毎年必ずやって来る雑草との戦いは、農家の人にとってこんなにも重労働なのかと、つくづく身をもって実感したものだ。

 

 一休みしようとお茶の時間に集まったら、かみさんが何やらふさぎ込んでいる。どうしたのかと訊ねると「ヘビを切っちゃった」と落ち込んでいた。雑草の向こうにいたヘビに気づけずに、草刈り機でバッサリと伐ってしまって後味が悪かったらしい。

 

 そのことを農家のご主人に話すと、お塩とお酒を持って来てお清めしてくれた。みんなで手を合わせて、かみさんも少し心が落ち着いたようだ。そんなちょっとした事がとてもありがたかった。

 

「百姓をやっていれば動物を追い払ったり、死なせてしまったりは年中あってね。こうして手を合わせたりもするんだよ」

 

 そんな話しを聞かせてもらって、今まで考えもしなかった事に気付かされた思いだった。

 

 そうか、農家の人々はそうした事を全てひっくるめて、命のありがたみに感謝しながら作物を育てているのだ。命を育んで命をいただく、それは「いのちの仕事」だと言える。

 

 農家の人だけではない。家畜を育てる人も海で魚を獲る人も、みんな「いのちの仕事」をしている。そして僕らはその「いのち」を、毎日たくさん食べなきゃ生きて行けない。

 

 この町にやって来て初めて、僕はそのありがたさを知ることが出来た。海と山と田畑が身近にあるから、こうして日々感じることが出来たのだ。

 

 そう言う僕もまた「いのちの仕事」をしている。数十年も、数百年も生きた大木を切り倒しているのだから。

 

 大きな命を切る作業はいつも、僕の心に後ろめたい思いを刻みつける。一本一本、木の命を奪うことに心の痛みを感じながら、それを含めて自分の仕事だからと思っているし、とても大事な事だと信じている。

 雑な思いで乱暴に木を切ることはしたくない。もし僕がこの仕事に痛みを感じられなくなってしまったら、その時は木を切ることをやめようと思う。