はじめて列車が走ったのを見た時、その姿に感動して僕は泣いたものだ。線路わきでカメラを構えて写真も沢山撮った。

 津波で流された仙石線はずっと不通になっていたから、震災後移住組の僕にとって、君が線路を走っているのを見るのは初めてのことだった。

 

「おかえり仙石線」とみんな言っていたけど、僕は「はじめまして」だったね。

 

 そういえば津波直後のあの頃、君が今走ってる鉄道橋梁の上に漁船が乗り上げていてびっくりした覚えがある。

 

「ありゃおらほの船だっちゃ」

地元の漁師さん笑いながら教えてくれたっけ。

 

 復旧した仙石線、1時間にたったの2本しか通らない。しばらくは列車が通るたび嬉しくて、少し得した気になって踏切が上がるのを待った。けど、今は踏切に捕まると「なんだまたかよ急いでいるのに」運が悪いなと文句を言う。人間なんて勝手なものだな。あんなに感じたありがたみを、もう忘れてしまっている。

 

 小学生の男の子と広場でキャッチボールの相手をしながら、仙石線にもう乗ったかと訊ねると「うん乗ったよ!」と男の子。へえ!どこへ行ったの?と訊くと「お母さんのお墓」って。そうかそうだった。すっかり忘れていたよ、ゴメンねと謝った。

 いつもそう、油断しているとぐさりと刺さる。普段明るいから忘れてしまうんだ。その男の子も今では高校生になっている。

 

 車ばかり乗っているから列車に乗る機会がない僕は、仙石線に初めて乗ったのはかなり時間が経ってから。仙台行きの列車に乗って、車窓に流れる景色を見ていた。

 周りの人はおかしいと思ったかもしれないな。席が空いているのに、ドアのそばに立って外ばかりきょろきょろ眺めてる。あの頃の景色と重ね合わせて、当時を色々思い出しながら見ていたのだ。

 

 高城町という駅でのこと。時間調整で車両がホームに停車している間、何人かの女子高生が入って来て座り、少しするとただ出て行った。なんだろう?と思ったら反対側の列車待ちだったようだ。なるほど、ホームに立って待っていては寒いものね。

 

 それにしても女子高生、真冬にスカートで大変だよなと思った。列車のドアが開くと風が吹き込んできて、コート姿のおじさんはくしゃみをしていた。