あの年のある朝、スコップや一輪車を現場に運んでいると、津波で押しつぶされた巨大ビニールハウスのてっぺんに、作業着姿の一人のおじさんがへばりついていた。

 

「一体何しているのですか」

 

僕が車を停めて声をかけると、

 

「こいつを解体するんだよ!」

 

と明るく答えた。

 

 連なったビニールハウスの広さは1ha位ある。流されてきた車とか流木とか色んなものが乗っかっていて、どこがどうなっているのかわからない。鉄骨製でひしゃげていてひどい状態だった。

 

「解体しない事には先に進めないから!」

 

 と、ラチェットを手にしたおじさんは元気に言っていた。そのパワフルな勢いに圧倒されながら、

「無理ですよぜったい!解体って言っても、いつまでかかるかわかりませんよ、しかも一人で」

 

 そんな反応を僕はしたと思う。

 

「ま、いつか終わるさ、のんびりやるよ」

 

とおじさんは明るく笑う。

 

「近いうち必ず来ますので、手伝わせてくださいね」

 

 立沼のTさんとの出会いは最初そんな感じだった。

 

 その直後、東松島に多くの支援を寄せていた「ボッシュ・ジャパン」の社員有志が、40名のチームでボランティアに来るという時、現場のコーディネートを担当させていただいたので、そのビニールハウス解体作業をお願いした。

 

 使うのはボッシュのセーバーソーやグラインダー。鉄骨でも切れる。地元Tさんたちとボッシュチームの共同で解体作業が始まった。

 

 でも、津波で不規則に押しつぶされた鉄骨はとても危ない。どこか一点を切断すると張力が解放されて、鉄骨が暴れたりつぶれたりする。思った通り困難な作業だったけど、ボッシュチームは毎週末大勢で通い続け、怪我人を出しながら最後まで手伝ってくれた。

 

 あれから数年が経ち、そんなことも忘れていたころ、突然Tさんの奥さんがうちに訪ねて来た。

 

「ここにいると聞いて来ました。あの時は大変お世話になりました」

 

 そう言って、息子さんがハウスで作ったというイチゴを沢山届けてくれた。そういえばあの時、作業の合間に汗を拭きながら、Tさんがぽつりと言っていた言葉を思い出した。

 

「オレはもう引退だなあ。あとは息子にまかせるっちゃ」

 

 そのイチゴはとても甘くて美味しかった。