☂㊻ さまよう311 | 世の中の色々なことについて思うこと・神吉雄吾のブログ

 僕が手を合わせて花を手向けるのはいつも、人のいない場所だった。

 

 路地裏だったり、何もなくなった更地だったり、どこかの建物の階段の下から何段目かだったり。瓦礫の作業で縁のあったそれぞれの場所に、ひっそりと祈りを捧げたり花を置いたりしていた。

 

 毎年やって来る3月11日。僕は被災していないけど、やはりこの日は特別な思いで、少し前から近づいてくる感じがして気が重くなるし、映像が増えるテレビは見ないようにしている。

 

 「カウントダウンされているようで嫌だ」と、話していた人がいた。

 

 3月11日は、まるで町全体が葬儀場になったようにびっしりと重い空気に包まれる。もしも人間の感情に、眼に見えるエネルギーがあったとしたら、空は真っ赤に焼け上がるか、とても冷たく凍り付くかもしれない。そう思えるくらいの感情が、町中をびっしりと埋め尽くしているように感じる。

 

 僕はボランティアとしてこの町に来たから、普段からたくさんの人と知り合って、色んな人に頼られて声をかけていただいた。でもこの3月11日だけは、いつも無力感に押しつぶされそうになる。何もしてあげられる事がないのだ。

 

 みんなそれぞれに抱えた悲しみと向き合っていて、部外者の僕らは目を合わせることも出来ずにただうろたえるだけ。なにかを埋める気の利いた言葉も思いつかないから、殆んど誰とも会うことなく過ごしている。

 

 黙とうをささげる時間をどこで過ごそうかと、最初はずいぶんと悩んだ。

 

 悩んだ末に妻と二人で、海岸に手を合わせに行ったこともある。するとそこには堤防にも砂浜にも、花を持った人がたくさん佇んでいて、やはり自分が居るべきではない気がして立ち去った。

 海へと向かう道すがらも、どこかの広い空き地にも、悲しみを抱えた人たちが立っている。

 

「自分のいるべき場所ではない」

 

 いつもそう感じて逃げてしまう。

 僕は真っ黒な作業着を一着だけ持っている。この日だけそれを着て普通に過ごすことにした。その時間まで普通に作業をし、その時いる場所で時報に目を閉じて、あとは家に戻ってひっそりと時間をやり過ごす。

 本当につらい時間はそこから長い。じっとやり過ごす一日。今年もまたやってくるのだ。