むかし、中学校に通わずに、野宿しながら働いていた13歳のころ、職を見つけること自体が難しかった。子どもだから雇ってもらえないのだ。色々と探してもアルバイトで使ってもらえるのは、せいぜい高校生の年からだ。

 

 仕方ないので兄の名前と生年月日を使って3歳さばを読み、嘘の履歴書を書いたけど、童顔で背の小さかった僕はすぐに怪しまれる。

 

「ふーん、君、昭和40年の7月生まれ、本当に?じゃあ何年か言える?」

と訊ねられて、緊張していた僕は

 

「しし年です」

と答えた。

 

 面接の担当者は苦笑していたけど、

「まあいいや、明日から頼むよ」と採用してくれた。焼肉屋の調理の見習いだった。

 

 でもやることは、焼き網にこびりついたくずを一日中みがき続けるばかり。子どもながらに「働くのって大変だな」とつくづく思ったし、「働けるのって嬉しいな」とも思った。

 

 野宿するにはつらい冬がやってきて、寒さをしのげる場所を求めてさまよっていた時、カギの開いたままになっているトラックを見つけた。深夜そっと忍び込んで眠り、起きると窓のくもりをていねいに拭って、朝の6時ころにはトラックを出る日がつづいた。

 

 ある朝、疲れていた僕は朝寝坊して、出勤してきたトラックの持ち主に見つかり酷く叱られた。トラックを追い出されたことも、夜寝る場所すらないことも、色々つらくて落ち込んでいると、ふとジャンパーが無い事に気が付いた。

 あのトラックに置いてきてしまったのだ。どうしよう。冬の野宿に上着が無いのは致命的だった。

 

 深夜になるのを待って、こっそりと駐車場に行ってみた。びくびくしながら、そーっとトラックのドアを引くと、意外な事にカギは開いていて、ジャンパーは助手席にキレイに畳まれて置いてあった。

 僕はそれを抱えると、見つからないようにすぐに走って逃げた。

 

 そのジャンパーの中にはコロッケパンと牛乳パックが包んであった。手紙もあったのだけれど、なんて書いてあったのか今となっては覚えていない。

 

 お腹が空いていたのもあったけど、コロッケパンは特別に美味しかった記憶がある。他人のやさしさに触れて切なくて、鼻水の味しかしなかったけど。