僕らが瓦礫と呼んでいたものは、じつは瓦礫なんかじゃなくて、人々の暮らしの財産が津波で壊されてしまったもの。
泥にまみれた小物も小さな写真の一部も、持ち主にとってはとても大事な思い出だ。瓦礫と呼ぶのは本意じゃないし、もちろんそうした意識は常に無くさないようにしていた。どんな物でも乱暴に扱うことはせず、片付けも丁寧にしていたつもりだった。
それでも時々思いがけないことに「はっ」と気づかされることもある。
被災した小学校の片付けを依頼されて、校舎の中から不要なものを運び出している時、もう使えない机や椅子、棚や参考書など廃棄するものを外に搬出していた。
ふと気が付くと、地元の男性がひとり下駄箱の前で佇んでいる。
「どうしましたか」
と訊ねると、
「娘の下駄箱の名札が残っていました。良かったです」
と、彼は下駄箱にあった娘さんの小さな名札を外し、大事そうに持ち帰って行った。
実はその下駄箱は津波で壊れていたので、危ないからと僕は数日後には外すつもりでいた。家も津波で全て流されてしまったお父さんにとって、下駄箱に遺された名前でさえも、娘さんがこの学校に通ったとても大事な証しだろう。残って良かった。
あるお宅でお家の片付けを手伝っていたおばあちゃんが、探し物をしながら困っていた。
「大事なポーチが見つからないのです」
僕らは運び出した家具をもう一度ひっくり返し、山にしたヘドロをもう一度スコップで崩して探した。3日間を費やして敷地中探したけどそれでも見つからなかった。
おばあちゃんはとても悲しそうに見えたけど、もうどうしようもなかった。
それからずいぶんと経った頃、何件か先の道路を挟んだ敷地を片付けている時、庭先で泥にまみれたポーチを見つけた。くしゃくしゃで黒くて見つけただけでも奇跡かも知れない。
もしかすると、と思って先日のおばあちゃんの元へ行き見てもらった。
「これです!良かった、本当にありがとうございました」
そう言って泣いて感謝された。
ポーチに何が入っていたのかはわからない。ただ、喜んでもらえたことが嬉しかった。僕らがやって来た瓦礫の作業と言うのは、日々こんなことの繰り返しなのだ。