切り株は、命ある木を人間が切り倒したあとに残るもの。普段から切り株を目にする人なんていないと思う。僕は毎日仕事で木を切っているから、切り株を沢山作っている人と言うことになる。
依頼を受ける木は、小さなものから大きなものまで、樹種も杉やヒノキや松、ケヤキやサクラなど様々な木を相手にする。
大きくなり過ぎてしまって、倒すに倒せない木を頼まれることが多いから、僕よりずっと先輩にあたる大木の方が圧倒的に多い。樹齢70年から100年くらいが一番多くて、これまで依頼された木の中での最高齢は約300年だと言われていた。
70年とか100年もの昔から、一つの場所にずっと立ち続けてきたわけだ。彼らは与えられた場所に根を張り、暑いも言わないし寒いも言わないで、風雪に耐え立ち続けてきた。僕がまだ生まれてすらいないほどの昔からずっと。
家族に愛され地域を見守って来た樹木たち。その命の先輩たちにチェンソーの刃をあてるときは、本当に申し訳ない気持ちになってしまう。
一つの命の重さに若いも年寄りも無いけれど、やはり自分より長く生きた命を絶つときは、畏敬の思いが強くなる。決して楽しんで木を伐る気にはなれないし、切った後は後味が悪いものだ。
大きな木は切った後に年輪を数える。自分が殺した命の重さをちゃんと知りたいから数える。
切る前には分からなかった木の上部の枝の枯れや、幹に入った腐れた部分を見つけて、依頼者さんに報告する。
「この木は根元に洞があって、腐朽していましたので、いずれ切ってしまう必要がありました。残念だけれど今回切って良かったと思います」
伐採を依頼される方もやはり、両親や祖父母の代に植えられた一家の思いのある大事な木を切ることに、それなりの逡巡もあって悩んだはずだ。
「強風で倒れてしまう前に」
との思いが慰めにもなり、心も安らいでくれるかもしれない。
「海辺の森から」のタイトルの下には切り株のイラストが添えてある。編集の担当者が選んでくれたもので、僕はこの新芽がひこばえた切り株のイラストが気に入っている。
切り株から新しい芽が吹いてくれると、少しだけど僕の中の罪悪感も安らぐことが出来るから。新しい命の芽吹きを頑張れと、心から応援したくなる。