とりあえず家の近所は道路環境がわるくて(ガタガタで)滑りにくい。
側溝のふたが滑るに心地良いということを発見した。
未だに初歩の初歩チックタックなう。
スケボ、ムズイけど楽しい。
スノボーも楽しいけど、スノボーは生かされてる(かなーり受動的)、
スケボーは生きてるって感じがするね。
たぶん、うまくなったら受動と能動が反対になるんだろうけど。

心地の良さで言うと完全に環境に依存しているスノーボードの方が勝るんだけど、
やっている感は、完全にスケボーですな。(ただしいまのところ、チックタックのみ)

どっちが良いとかじゃなくて、どっちもバランスをとってやって行くのが良いですね。
どっちも初心者なんで、いまの感覚を残そうと思って記録しておきます。

せーい!
書くと言ってずっと放置していた、写真と自分の関係を「カメラ論」というたいそうなお題で書いてみる。
ちょっと曲がった視点で考えてみる。
随所に、(キリッ が入るのはブログならではということで勘弁していただきたい。
では心してお読みください。

しばしばカメラは
「撮影者の心を表す鏡だ」
などと言われる。
僕もこれには同意だ。
同じ被写体、カメラを与えても人によって撮り方がかなり異なる。
それがカメラの楽しいところ。
景色を撮る人、人を撮る人、食べ物を撮る人。
同じ被写体でも撮り方は全く違う。
その人が触れてきたもの、考えているもの、価値観が露わになる。
時代によって撮り方が異なるのは、彼らの価値観が時代の煽りを受けていることの顕れでもあるんじゃないかな、なんて。

数年前、僕が高校生の頃、カメラを持つやつなんてオタクだろ?的な空気はあった。
写真部と言ったら笑われることもしばしば。
だかしかしたかし。
近年、写真にとって大きな変化があった。
カメラ人口が増え、カメラを持っていても変な目で見られなくなった。
WEBアルバム、SNSの発展、デジタルカメラが廉価になったこと、携帯カメラの性能向上、色々な要素が絡み合って、WEB上での写真共有は、今や誰にとっても普通だ。
それによって写真が、ファッションのように個人を表すことができるメディアとなった。
「私はこういうものが好きです!」
「ここに行きました」
「こういう視点で私は見ています」
言葉で言うよりも具体的に、逆に抽象的になげかけて相手の認識に任せることもできる。
あなたがどう撮るかはつまり、あなたがどう見られたいかの顕れでもある。

何言ってるかよくわかんねえよ、って人。
自分の本棚を思い出して欲しい。CDラックでもいい。mixiのコミュニティ、靴棚、iPhoneのホーム画面。
あなたは他者の視点を意識していないだろうか。
WEB本棚のブクログが流行っているのも一種の自己表現メディアであるからだ。
無意識のうちにそこに惹きつけられる。
他者の視点を意識しているという点で言えば、「趣味」の写真は主体的視点から客体的視点にシフトしつつある、と僕は思っている。

ここからは少し青臭い話になるけど、少し付き合って欲しい。
辛いのは、僕も一緒。

じゃあ、自分は写真を通してどう見られたいか。
僕のことを知っている人は、どういう写真が多いか思い出して欲しい。
猫、どうでもいい景色、誰もカメラ目線じゃない写真が多い。
僕は被写体を撮りたいから写真を撮るのではなく、空気感を伝えたいから被写体を媒介させて写真を撮る。
何を言っているかわからねえと思うが、俺自身何を言っているかわからねえ。
では猫に限って考えてみよう。
何で犬じゃないのか。
ちなみにだが、僕自身完全な犬派である。特に柴犬の愛くるしさったら。ねえ。
なぜ猫ばかり写真におさめるのか。
彼らは空気そのものだから。
主張せず、やる気がなさそうにいつもゴロゴロしている。
犬を撮ると彼らが主役になることが多い。
猫をフレームに入れることで、周囲との関係性が生まれ物語ができあがる。
猫は自然なコンテクストテラーなのだ。
猫さん、かっけーっす。
話は戻るけど、自分は写真を通してどう見られたいか。
「こいつ、こんな風に撮るのか。でも突飛じゃないね。」
突飛じゃない、が大切。だって突飛さが注目されたら、空気感とかは二の次になるから。


ここからは極論。
一意見としてみて、どんどん批判して欲しい。
僕は集合写真や、ピースにカメラ目線の写真を撮ることが好きではない。
でも頼まれたらホイホイ撮りますよ。
感謝されるのが大好物ですし。
なんで好きじゃないのか。
だって、それはその人だけしかとれていないから。
被写体が、それまでの文脈から断絶されて、そして完結して全く意味をなさなくなってくる。
その他の介入を許さないくなっちゃう。
それって全く自然じゃないですよね。
僕は写真を通して空気感を伝えたい。まわりとの調和を大切にした写真を撮りたい。
それは撮られる本人、その場にいなかった人双方にとって意味がある。
撮られた本人は、その時に自分が思っていたこと、周りとの関係性を思い出し、よりリアルに思い出すことになる。
その場にいなかった人は、まるで自分がそこにいるかのように思える。人を中心にしていては、それは成り立たない。
敢えて観ている人が身を移せるような余白の部分を出来るように撮ることが大切だと思っています。


終始偉そうに書いてきましたが、正直に書けました。
でも、逆に文字とすることで、伝えたいニュアンスが若干伝わらない部分もあります。
わかりにくいところあったら言ってください。
iPhoneから書いたので論理破綻していそうでビクビク。
修行です。
今後も加筆していきたいな。

いやー、好きなこと書くのって楽しいけど体力いりますね。
長い文章読んでいただきthx


iPhoneからの投稿

高校一年、バンドを始めた頃にGt.の奴から
「千葉にこんな凄い人達がいるんだぜしかも自分たちと歳もそんな変わらないんだぜ」、と薦められて僕はそのバンドを知った。
3Pのバンドでハイトーンボイスが印象的だった。
沸沸と湧く初期衝動の爆発を顕したような音楽、すぐにその魅力に取り憑かれた。
当時平均年齢はたしか20歳にも満たず、Vo.さんはまだ高校生。
しかし年齢を武器になんかせずその音楽性だけで飛び込んで行く姿はクールだった。
すぐにライブに行った。
Dr.さんがバイトする店にも足しげく通い、一緒にラーメンを食べたりした。多分ご本人は覚えていない笑
高校時代僕らバンドメンバーは彼らのライブに通い、対バンで気に入ったバンドのDEMOを買った。
彼らは僕の音楽性のコアだった。

大学生になっても僕はよくライブに行った。
いつも楽しそうに演奏する彼らはかっこ良かった。
どんどん大きなライブハウスでやるようになったり、JAPANにインタビューされたり、誰もが知っているバンドに呼ばれたりして、少し寂しさも感じた。あるあるwww
しかし、バンドを諦めた僕にとっては、いつも戦い続ける彼らに、勝手に夢を乗せさせてもらっていた。
これから、もっともっと有名になって行くと自然に思えた。

そんなバンドが今年の3月末に解散する。
結成当初からのBa.さんが突然脱けるなど、その予兆はなんとなく感じていた。
そして急な解散宣言。
いざ解散の日程を突き付けられると、ダメージは大きい。

ライブの日付は就活生の自分にとっては結構キツい。
場所も千葉だ。
だけど行かなければ、僕の青春(小っ恥ずかしいけどこんな表現しか思い浮かばなかったので笑)は、亡霊のように行き場を無くして彷徨うような気がするから、どんなにきつくても行くだろう。
当日は色々な感情が入り交じってボロボロに泣くと思う。
今も色々な思いが絡まってこんなカオスな文章しかかけていないわけで。
でもこうやって残しておく。
チケット取れるといいな。