先日、映画ノルウェイの森を見た。
僕は村上春樹の作品の多くは好きだが、面白くない作品も幾つかある。
そのひとつがノルウェイの森だ。
正確には「だった」ということにしておく。笑

僕が『ノルウェイの森』を初めて読んだのは高校2年生の夏休み。
ふと本屋で見かけて読んだ『海辺のカフカ』が面白かったので、村上春樹のベストヒットとされていたノルウェイの森も読んでみようかなと思った。
で、読んだ。
つまらない。
主人公のワタナベは『ライ麦畑でつかまえて』の主人公みたいで鼻にかかるし、なんかすぐ死ぬし、ヤルしで高校二年生の僕の理解の範疇を超えていた。
とりあえず読み通しはしたものの何も印象には残っていなかった。
正直文学作品のこれは〇〇のメタファーで~なんていうのに飽き飽きしていたのであまり勘繰らないようにして読んでいたのもあったけど。
他の村上作品にも触れつつ高校時代を過ごした。
余談ですが僕は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』のいわゆる鼠ものシリーズが好きです。

それから4年経ち、僕は現在大学三年生。
小説のモデルとなったとされる大学(作者は否定しているが)で勉強している。
当時は考えもしていなかっただけに、不思議な感覚。
試写会が大学の講堂で行われたりtwitterの方々がワーワー言うので、これは見なきゃいけないなというふうに思っていた。
しかし高校時代に一読したもののほとんど記憶に残ってはいない。
観た人に聞くと「映像は綺麗だったです^^」とか「なにがなんだか・・・」とか「原作読んでないとただの、松山ケンイチの半裸映画」みたいな風評があったので、正月の休みを使って、といっても学生なので毎日が冬休みみたいなものだが、ノルウェイの森を再読することにした。
そして映画を独りで観た。
評判から全く期待していなかったが、感動した。

主人公達は17歳、19歳、20歳と歳を経ている。
僕は21歳なのでそのへんはもう経験している。
ベテランだ。
月並な感想だが、この歳になって読むと色々気付き、考えることがあった。

【以下激しくネタバレあります】
まずは年齢。
ノルウェイの森では年齢が大きな意味を持っている。
キズキが自殺したのが17歳。
ワタナベと直子が初めて交わったのが直子の20歳の誕生日。
アラフォー(笑)のレイコさん。

キズキは自殺したが、小説中でその真相は明らかにされていない。
年齢は17歳。
大人の一歩手前。
大人にならずに死んだ、ある意味でそれは完璧なまま冷凍保存されたような物で誰にも触れられないままだ。
直子は死後、その幻影を追い続ける。
(もしかしたら姉の自殺が彼女の死を決定づけて、それにキヅキが巻き込まれたのかもしれないが)
ワタナベは大学入学後、大人になろうとする姿が各所で語られる。

直子の20歳の誕生日、ワタナベと直子は初めて交わる。
直子にとって最初で最後の交わり、20歳の誕生日に一度だけ。
直子はワタナベの導きで一瞬大人になった。
しかしその後、また17歳と19歳の間を行き来する。
それがその後のヤレナイ状態につながる。彼女はまだ子どもだから。

それぞれのキャラクターの役割も見逃せない。
突撃隊。シュール。
潔癖症でしばしばどもる。
そして突然の退寮。
僕の解釈ではこの物語全体の喪失感、「仕方のないこと」を語る役割だったのだと思う。
ある意味では登場人物の中で一番まともな人間だったのかもしれない。

レイコさんとその環境。
施設は単純にワタナベ達が暮らす生である現実世界とは隔絶した、生と死の中間地点ということだろう。
直子は逃れられない死に脚を突っ込んでいく。
レイコさんは直子とワタナベつまり、生と死を繋ぐ役割だと解釈する。
終盤、レイコさんとワタナベは激しく交わる。
生死の断絶の儀式だったりするんだろうか。

緑。
生命力の塊。
名前からしてそうなのかもしれない。
両親が死んでも、強く生きる彼女。
直子に引っ張られて死の世界に行こうとするワタナベを引き止める役割。

ただ自分の中で理解できないのは永沢さんとハツミさんの存在。
永沢さんはなんとなくわかるんだけど、ハツミさんはよくわからない。
「仕方のないこと」のひとつだったりするのかな。
だれか何か思うことある人そっと教えてください。

で、映画の話。
映画では、時間の関係もあるのか多くの文脈がふっとばされていた。
その割に性描写に長く時間が割かれていて、付き合い始めのカップルにとっては試練となるでしょう。
ただ、セリフなんか小説のまんまだし、原作厨でも納得できる内容。
原作読まないとなんのこっちゃってなるのは必至だと思います。
緑役の水原希子はかわいい。めっちゃかわいい。
レイコさん役の霧島さんもめっちゃあり。
ハツミさん役もかわいい。
菊地凛子は国際ウケを狙っての配役だろうけど、まったく適役ではなかったと思う。
気分を害したらごめんなさい。
でも聞いていた評判が悪かったこともあってか、かなり楽しめた。
一見の価値ありです。
原作読んだことある人ももう一度読んでから見ることを強くおすすめします。
たぶんレイコさんくらいの年齢になったらまた見かた変わるんだろうな。なんて。

ここまで僕の偏見で語っちゃいましたけど、物語はその人の文脈によって幾重にも解釈できるんですよね(キリッ
っていう逃げで今回は締めます。
長文乱文失礼。
おやすみなさい。

僕にとってカメラは非常に大きな存在で、僕を語る上で欠かすことのできないものだ。
今回はカメラとの出会いと今の関係を、半生を振り返りながら語っていく。

中学生。
普段から景色を観ることが好きで(というよりその年代ならではの、景色を観ている自分が好きで)、この景色を何かの形にして残したいなと思っていた。
絵が上手ければ絵を書いただろうけど、そんな才能は勿論ない。

宮城から千葉に引っ越す際、押し入れの奥からフィルム式の一眼レフカメラが出てきた。
それが僕とカメラの出会いだった。

高校に入学し、ラグビー部に仮入部したのだが、中学のバスケ部で何度も膝を壊していたし、遠征費やらなんやらでお金がかかり親に迷惑がかかるので、やめた。
結局存在も知られていないような写真部に入部することにした。
正直なところ、写真部で過ごした思い出はほとんどない。
同期唯一の男だった山田君は、見た目も地味な部類だったし、残念ながらかわいい女の子もいなかった。
体験入部をしに来た女の子で可愛い子が居たのだが、結局全体的に地味な部の雰囲気が気に入らなかったのか、それからくる事はなかった。
僕はそんな地味で陰気臭い写真部に入った。

部の活動は、好きなように写真を撮り、白黒写真を自主現像するというもの。
一年の頃は展覧会に何度か出品し、何度か入賞もした。
高校生の写真展など、コツが分かれば誰でも入賞できるようなものだ。
僕の写真に人はほとんど写っていなかった。
なんだか、大仰なカメラを出して撮るのは気が引けるし、大抵こっちがそういうスタンスで撮ると相手も緊張してなんの面白味もない写真になってしまう。
好んで撮ったのは、道端の風景。
綺麗な景色、奇跡的な写真など、タイミングさえ合えば誰にでも撮れる。
僕は「どこにでもあるけれど、自分にしか撮れない写真」を目指した。
誰でも撮れる被写体だけど、そこに自分のエゴを効かせることで、観た人を感心させたり感動を与えられる、そんなカメラの魅力にハマっていった。
逆にそういう写真を見ると悔しいと思った。

夏休みが終わったころには写真部を完全に笑いのネタにしていた。
そのころに僕はバンドを始めていた。
自分なりに表現できるものを探していたんだろう。
写真に通じるものがある、なんて後付けでなんとでも言えるが、実際のところは好きなバンドの真似をしたかった。

話は脱線するが、バンドをやっているからと言ってもモテない。
そりゃ、「俺、バンドやってるぜ」みたいな奴らはモテた。
それに対して無駄に頑なになって、そういうことはしないようにしようという空気がうちのバンドにはあった。
パンク野郎の影響だ。

それから3年になる直前まで、ほとんどをバンドに捧げた。
お世辞にも上手いとは言えないけれど、一応CDも作ったし、十分楽しめた。
才能など皆無だったが僕らなりの筋は通せたはずだ。
その話はまた今度。

時間は飛んで大学生。
先輩からマイクロ一眼カメラをいただいた。
そこで、僕のカメラ熱に再び火がつく。
貰ったカメラは一眼"レフ"ではなかったが、絞りの設定など調整が出来たので割と本格的な写真を撮れた。
しかし、人間貰ったものにはいくらそれが素晴らしいものでも愛着がわかないようで、一眼レフカメラに対する想いはどんどん強くなっていた。
20の誕生日の直前、食費を極限まで減らし、Nikon D90を買った。
高かったけど、今でも十分な性能をしている。
本格的なデジタル一眼レフカメラを得た僕は、生活の大部分を占めていたサークル活動の多くを写真におさめていた。
ほとんどの人が写真おじさんだと認識しているだろう。

そんなこんなで(かなり省略したが)(だってめんどi)、僕とカメラの歴史は今に繋がる。
いつも鞄に入れているし、イベント事になると現れる。
最近はサボり気味なのでこの機会に撮り溜めようと思う。

(カメラ論に続く)