凍えるように寒い冬の季節になると、私は今でも、熱々の湯気とともに思い出す、中学2年生の時の妙な「交渉劇」があります。
当時、野球部だった私たちに、ある日突然、Y先生が「朝練をやらないか」と持ち掛けてきました。
Y先生はバレー部の顧問で、本来なら野球部とは何の関係もない先生です。「生徒の活動を活発化させたい」という純粋な熱意だったのか、あるいは何か別の理由があったのか。
とにかく、寒がりの少年たちにとって、冬の早起きほど苦痛なものはありません。普通なら「えー、嫌ですよ」と逃げ出すところですが、そこは知恵がつき始めた中学2年生。私をはじめとする数人の部員は、Y先生に対し、あまりにも図々しい交換条件を突きつけました。
「鍋焼きうどんを奢ってくれたら、やってもいいですよ」
なんとも子供らしく、正式な部活の要望としてはあまりに現金な要求でしょう。
しかし、寒い冬の季節。近所の食堂で食べる、立派な海老天が載ったアツアツの鍋焼きうどんというのは、当時の私たちにとって最高峰の贅沢メニューだったのです。
まさか通るとは思わなかったこの要求に、Y先生の返事はまさかの「OK」。
さっそく近くの食堂へ連れて行かれ、私たちはご馳走になりました。予想通り、土鍋の中でぐつぐつと音を立てるうどんの上には、立派な海老天が鎮座しています。冷え切った身体に染み渡る甘辛い出汁。最高のご馳走でした。
胃袋を掴まれてしまった以上、私たちも男です。
「よっしゃ、明日からやるか!」と、うどんの魔力によって急に引き出されたモチベーションを胸に、翌朝から私たちは真面目に朝練を開始しました。
ところが、事件は朝練を始めて、わずか3日目の朝に起きました。
私たちの様子を遠くから冷ややかな目で見ていた、陸上部顧問のM先生から「朝練などけしからん」と、ものすごいクレームが入ったのです。曰く、足並みが揃わないだの、ルールがどうだの……。
結果、私たちの冬の朝練は、ものの見事に「開始3日」であっさり全面禁止となってしまいました。
あとに残されたのは、朝練を止められてポカンとする私たちと、数人分の「鍋焼きうどん代」を自腹で支払った、哀愁漂うY先生の背中だけでした。せっかくの先生の男気溢れる出費が、信じられないスピードで無駄になってしまったのです。
大人になった今、あの時のY先生の財布の痛みを想像すると、申し訳なさと同時に、なんとも言えない温かい気持ちになります。
出費は無駄になってしまったかもしれないけれど、あの時、関係のない私たちのためにポケットマネーを叩いてまで背中を押そうとしてくれたY先生の熱い気持ちは、何十年経った今でも、私たちの心にしっかりと届いています。
皆さんには、学生時代、大人に「ちょっと無理なワガママ」を聞いてもらった思い出はありますか?
