みなさん、おはようございます。
まずは、昨日のちょっとした経済のニュースと、我が家のサイフ事情から。
昨日(15日)の東京株式市場は、日経平均株価がなんと1,008円高と大幅続伸し、一気に「6万8,000円台後半」まで駆け上がるという、まるで夏祭りのような大盛り上がりとなりました。
ただ、実際の市場の中身はけっこう値動きが激しく、私の保有資産もまさにその波をまともに受けていました。
朝一番の急騰のあと、上がったり下がったりを慌ただしく繰り返す展開に。「おや、今日はどうなる?」と一瞬ハラハラしたものの、午後に入るとじわじわとプラス領域を拡大。気づけば保有株の約7割がプラスで締まり、最終的には3日続けてプラス域でホクホクと取引を終えることができました。
――しかし、兜町の熱狂の後にやってくるのが、相場の常というもの。
昨晩の米国市場では、NYダウが93ドル高と底堅く推移したものの、日本時間の深夜にかけて日経平均先物(大阪夜間・CME)が急落。昨日の大引け(6万8,751円)から1,000円以上も水準を切り下げる「6万7,600円台」まで売り込まれる波乱の展開となりました。
昨日あれだけお祭り騒ぎだった分、今朝の東京市場は一転して、利益確定の売りがドッと押し寄せる「大幅反落」からのスタートが濃厚となっています。
こうした「上がったり下がったりを激しく繰り返しながらも、時代の大きなうねりに引っ張られていく」というダイナミックな勢いを見ていると、なんだかこちらまで身が引き締まるような気がします。
そして、そんな風に日本中が「よし、これからもっと上を目指して走るぞ!」と、今よりもはるかに凄まじい、それこそ今日明日の値動きなんて霞むほどの強烈なエネルギーで上を向いて駆け上がっていたのが、あの「昭和の時代」でした。
今日は、そんな昭和の爆発的なエネルギーを感じさせる、普段何気なく通り過ぎている「地元の道路や商店街の名前」に隠された、ちょっと面白い歴史のお話です。
みなさんは、全国のあちこちで「角栄(かくえい)道路」や「角栄商店街」「角栄団地」といった名前を目にしたことはないでしょうか。
「角栄」と聞いて、真っ先に頭に浮かぶのは、やはりあの伝説の総理大臣・田中角栄さんですよね。
「日本列島改造論」を掲げ、全国に道路や新幹線を通した昭和の巨頭です。
私も昔、この「角栄道路」という看板を見かけたとき、
「さすが今太閤。田中角栄が権力を使って、このあたりに直々に道路を通したのかな……」なんて、半ば本気で思っていました。
ですが、調べてみると、そこには昭和の日本が一番元気だった頃の、意外な裏話があったのです。
結論から言うと、これらの道路や商店街は、田中角栄さんが直接作ったものではありません。
名付け親は、かつて昭和の時代に一大勢力を誇った「角栄建設」という民間の不動産会社です。
創業者の角田(かくた)さんという実業家が、自分の名字の「角」と、会社の「栄」を願ってつけた社名でした。彼らが昭和40年代、首都圏を中心に次々と巨大なニュータウン(団地)を開発し、そこに「角栄団地」「角栄道路」「角栄商店街」と名付けたのが、日本各地に残るあの名前の正体だったのです。
「なんだ、ただの民間企業の名前か」
そう思われるかもしれませんが、話はここで終わりません。
実はこの角栄建設の社長、ただ者ではありませんでした。
当時、政界の頂点にいた田中角栄氏の超強力な後援会「越山会(えつざんかい)」の最高幹部を務めていた人物だったのです。
つまり、田中角栄氏の圧倒的な人脈と政治力、そして彼が主導した都市開発の波に乗って、この「角栄建設」は巨大な街を次々と作り上げていきました。
田中角栄さん本人が直接スコップを持って作ったわけではないけれど、彼の強力なバックアップという『影』が、間違いなくそこにはあったのです。
当時は「田中角栄」といえば、地方を豊かにし、新しい道を作り、未来を連れてきてくれるヒーローのような存在でした。
開発されたニュータウンや商店街に「角栄」の名がつくことは、そこに暮らす人々にとっても、「これからこの街は発展するんだ」という、輝かしい未来のシンボルだったのかもしれません。
実は、この角栄建設が昭和の時代に総力を挙げて作った大規模な団地は、今でも首都圏の各地に、当時の昭和の面影を色濃く残したまま、しっかりと暮らしの場として息づいています。
かつて日本中が新しい未来を夢見て、汗を流して坂道を登っていた昭和の時代。
今、何気なく通り過ぎる「角栄道路」の古い看板は、あの頃の日本の爆発的なエネルギーを今に伝える、静かな記念碑のようにも思えてきます。
みなさんの身近な場所にも、なぜか気になってしまう「不思議な名前の道」はありませんか?
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、今日も皆さんにとって良い一日になりますように。