中学2年の体育祭は、今思い出しても奇妙な因果が重なる日々だった。
私のクラスには、陸上の短距離走で全国クラスの選手であるO君がいた。
彼が「走高跳に出たい」と言い出し、そのままクラス代表に決まったのだが、事態はすぐに急変する。
担任の先生に呼び出された私は、「代わりに走高跳をやってくれ」と告げられたのだ。
理由を聞けば、陸上部の顧問から「O君にケガをされては困る」と待ったがかかったとのことだった。
事情は呑み込めたが、なぜ私なのか。
走高跳なんてほとんど未経験なのにと、納得がいかなかった。
担任は野球部の顧問、そして私は野球部のキャプテン。
おまけに体育祭実行委員まで務めているとなれば、「他に頼める人間がいない」という大人の都合の犠牲になるのは、どうやら私しかなかったらしい。
しかし、大人の身勝手な横やりはこれだけでは終わらなかった。
体育祭の選手宣誓を誰にするかという実行委員会での話し合いで候補が決まった矢先、またしても件の陸上部顧問から横やりが入ったのである。
「選手宣誓は体育祭実行委員の中から選ぶべきだ」という理屈を振りかざし、なぜか白羽の矢が立ったのはまたしても私だった。
これだけ不自然なことが続けば、誰だって勘繰る。
当時の私は、慣れない走高跳の特訓、全校生徒の前で行う選手宣誓のプレッシャー、極度の恥ずかしさ、そしてクラス対抗応援合戦の副団長(実質的な影の団長)という、パンク寸前の重荷をひとりで背負っていた。
考える余裕すらなかったが、今こうして年を重ねて振り返ると、あれは100パーセント、あの陸上部顧問の意地悪だったのではないかと疑わずにはいられない。
今更、真相など藪の中だ。
証拠はないが、そもそも私はあの顧問が生理的に嫌いだったし、そりが合わなかった。
だが、結果はどうだったか。
大嫌いな連中の思惑などどこ吹く風で、選手宣誓は大役を無事に果たし、走高跳では優勝こそ逃したものの何度も鮮やかにバーを越え、応援合戦では見事に2位をもぎ取った。
人生、どんなに理不尽な重荷を背負わされても、結果を出してしまえばこちらのものだ。
もしあの嫌がらせが私を潰すためのものだったとしたら、「ざまあみろ」と、今の私は当時の自分を大いに褒めてやりたい気分である。
あの頃、理不尽な大人たちのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、がむしゃらに駆け抜けた青春の1ページは、今となっては心地よい苦いスパイスのような思い出だ。
みなさんは、子供の頃に「大人って不条理だな」と感じた苦い思い出はありますか?
