レンブラントとその時代の金融システム4 | 旅行、美術館、書評

レンブラントとその時代の金融システム4

宗教改革





















-- レンブラントとその時代の金融システム----
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スペイン王でもあるカール5世 の神聖ローマ皇帝の在位は 1519年 - 1556年
彼はフランス王とイタリアを取り合い、オスマントルコによるウィーン包囲に耐え、そしてルターの宗教改革に対応しなければならなかった。 

宗教改革
ルター














1517年10月31日、マルティン・ルター はヴィッテンベルク城教会の扉に『95ヶ条の論題 』を貼り出します。ただし、これはラテン語で書かれており、あくまでも教会関係者向けの意見交換のつもりだったようですが・・・これがヨーロッパ中に飛び火します。

フランソワ1世 は対カール5世との戦略上、改革派には寛容でしたが、寝室の扉にカトリック批判の文書を張られるに至り、激怒。(檄文事件 ) カルヴァン は国外追放。

【霊的インフレーションの時代】という言葉をここで みつけたましたが、ルターが例の論題を張った教会は「19万年分の煉獄に入る期間を減らせるだけの聖遺物コレクションを誇っていた *1」、しかし、これらを参拝しなくても贖宥状 (しょくゆうじょう 私は免罪符と習った) さえ購入すれば煉獄 から逃れられる、というのはいかがなものでしょうか。

トリノの聖骸布 くらいは知っていましたが、「ヘロデ大王 による幼児虐殺 の被害者の完全な遺骨」という聖遺物まであったのかと・・・ ちなみに上図の右列、上から2つめの絵画が今世紀、90億円で落札されたというルーベンスの「幼児虐待」です。

煉獄といわれても、キリスト教徒ではない私は(読んでもいないのですが)ダンテの神曲を連想する程度ですが、当時のキリスト教徒にはこれが殺し文句だったようです。グーテンベルク (1392-1468)の印刷機で聖書が印刷されたのは有名な話ですが、それより先に贖宥状 がこの新技術で印刷されています。(と習った記憶が私にはあります。当時は免罪符でしたが)

この時期、教会はサンピエトロ寺院のためにお金が必要だったようですが、この贖宥状 を刷って販売するというアイデアも為替手形でカール5世神聖ローマ皇帝成立に貢献したフッガー家 です。

   カルヴァンの時代は、永遠の命の救いということは信徒たちや自分自身の救いにも関わる重大事であり、
   誤った教えを信じて一歩間違ったら地獄行きという切迫感をもって受け止められていた。 wikipedia より

このような状況であれば、地獄行きかどうかははじめから決まっている(予定説)といわれた方が楽かもしれません。そして、「カルヴァンは職業的成功が救済の証拠になると説いた。成功は蓄財によって証明されるので、カルヴァンは必然的に蓄財を肯定します。」*2 となり、この間 誰が近代資本主義を作ったのか  ででてきた、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神  につながっていくわけです。


参考

*1 wikipedia 95ヶ条の論題 より
ルターの研究書を書いているマルタン・トロワ(Martin Treu)によれば選帝侯は 1509年 ごろ、「すでに5005もの聖遺物を収集していた。その中には聖母マリア の母乳入りの瓶、イエスの生まれた飼い葉おけのわら、ヘロデ大王 による幼児虐殺 の被害者の完全な遺骨などがあった。このような遺物は通常、手の込んだ銀細工が施された保管容器に収められ、年一度公開されて参拝者を集めていた」という。1520年、選帝侯の聖遺物コレクションの数は19013にも達したという。人々は免償を得ようとこぞってヴィッテンベルクの教会を訪れ、その齎す功徳の総計は「人々が煉獄に入る期間を合計にして19万年も減らす」(トロワ)ほどのものだったという。

*2 世界史講義録 カルヴァンの宗教改革
以下 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-60.html  より

カルヴァンは言うわけですよ。信者に向かって、「あなたが救われるかどうかは誰にもわからない。」「一所懸命神に祈っても無駄である」。こういう言葉でしゃべったかどうかはわかりませんが、内容はそういうことです。
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でも、カルヴァンの教えが広く受け入れられた核心部分がこの予定説なのです。なぜでしょうか。
 多分こういうことだったのではないか。
 カルヴァンに誰が救われるかはわからないと言われたときに、ほとんどの人は自分が救われない人とは思わない。「自分は神に選ばれているに違いない」、もっと露骨に言えば「他の全部が地獄に堕ちても私だけは神に選ばれているはずだ」と考えたのです。自分だけは大丈夫というやつです。
 そう考えると、次には「神様、私を選んでくれてありがとう」と思う。自分を選んでくれた神様におのずから感謝を捧げる気持ちになる。熱心に信仰するようになる、というわけです。一見厳しい教義ですが、はまった人にとってはエリート意識をくすぐられるのではないかと想像します。

 ただ、信者は自分が選ばれている人間だと思うものの、何の証拠もない。少しでも自分が選ばれた人間である手がかりが欲しいと思うものです。

 そこで、カルヴァンは神は偉大すぎて誰が救われるか我々にはわからない、としながらもこんなことを言う。神に選ばれて救われる人が誰かを知る方法はない。ただ、神から選ばれた人は運がよい。だから、選ばれたものは現世で成功する確率も高いのではないか、と。職業というのは神からあたえられた使命だから、おのおのが自分の職業でがんばって成功するならば、その人は神から選ばれた者である可能性が高い。
 では、成功はどうやってはかるのか。カルヴァンの答えは単純です。「お金が貯まること。」お金を貯めればためるほど成功の証拠になる。

 まとめます。カルヴァンは職業的成功が救済の証拠になると説いた。成功は蓄財によって証明されるので、カルヴァンは必然的に蓄財を肯定します。

 この点がそれまでのキリスト教と違うところ。カトリックは蓄財を肯定しません。お金を貯めることは卑しいことなんです。もし必要以上にお金を貯めたならそれは教会に寄付すべきなのです。個人で使い切れないお金を持つのは不道徳。イエスは金持ちは天国に入りにくいと教えていたのですから。

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 ヨーロッパ各地でのカルヴァン派の呼称
  オランダ・・・ゴイセン
  イギリス・・・ピューリタン
  フランス・・・ユグノー
  スコットランド・・・プレスビテリアン