社会に出て間もないころ

何度も聞かされた言葉がある。

  

  

「同じ間違いを繰り返すな」。

  

  

企業にとっては

新人を教育して行く上で

この学習能力を

発揮してもらわなくては

新人を成長させることはできない。

 

 

1度目の失敗はまだ良い。

新人なら・・と、

許されることもあるだろう。

 

失敗した時点で原因を

徹底的に自分で究明する。

2度の同じ失敗は

絶対に起きないはず。

 

 

高校時代 

野球部だった私は

甲子園常連校と練習試合を

行ったことがある。

  

そのときその監督さんは

エラーをした選手を呼び

なぜ自分はミスを犯したかを

正座をさせ大きな声で

述べさせていた。

 

やり方がいいかどうかは別にして

エラーがおきた理由

結果がでなかった理由

をはっきり自覚することが

必要なのだと知った。


 

学習能力は顕在意識能力。

 

カナブン生

いちど失敗したことを

2度繰り返してはいけない。

 
 

1度目は結果が出なくても

2度目からは

必ず結果のだせる人で

あって欲しい。 

 
 

1発目  散々な目にあう。


2発目  オトシマエをつける。


3発目  余裕。



カナブンは只今2発目 真っ最中!


カナブン と自宅どちらにも

いつも電波時計がある。

  

カナブン内を移動する時も手放さない。

   

携帯用ではないので

少し持ち運びには邪魔なのだが

ちょっと離れても視認できるものが

必要なのだ。

 

神経質な奴と

思っていただいてかまわない。

  

  

「時」は正確だ。

 

誰に対しても平等に流れている。

 

誰もが失くした「時」だけは

取り戻すことはできない。

 
 

自分の行動すべてを

「秒単位」で

起こしているわけではないが

この「1秒」の感覚を大切にしたいと

いつも思っている。

 

 
スポーツをやっていると

「1秒」の大きさを

いちどくらいは

感じたことがあるだろう。

 

 

バスケットボールなら

残り1秒で

逆転シュートはありえるし

空手なら蹴り技も突き技も

1秒で繰り出せる。

つまり1秒で相手を倒すこともできる。

 

 

「1秒で全てが逆転する」。

 

 
たった1秒がこの大きさなら

5秒、10秒ましてや1分を無神経に

使うことなど絶対にできない。

 

 

1秒のこだわり。

1秒の価値。

1秒の重さ。
 

 

この意識を極めれば

スピードは上がる。


 

時の意識を揺り起こせ。


東京からの荷物で

まだ完全にバラしていなかった箱の中に

『書』の作品があった。


実に3年半ぶりの対面だった。


『書』は知ってのとおり白い紙に

黒い墨で文字を形成する。


墨の濃淡、掠れ、滲み。


それらが組み合わされて表現される。

 

  

『モノづくりと精神性』について考えた。



我々がファッションに切り込むとき

いったい何をもって創造しているだろう。


一瞬の閃き


不意にイメージが湧いてくる感覚


研ぎ澄まされた意識

 
 

カナブン生

創作活動の中に

垣間見る真剣な表情。


圧倒されるときがある。

 

  

そんな光景を

目の当たりにすると

あらためて

精神的な強さの

必要性を絶対的に感じる。



学生の中には既に

その必要性を感じている者も

少なくない。


 

クリエーションには

精神的な幅と深さが

絶対必要になるときがくる。

  

 

私の精神性の強化は

『書のための空手』

『空手のための書』という

日々の中に

あったと思う。


この「静」と「動」がうまく作用して

精神力を引き上げてくれた。


クリエーターは

自己の創造において

苦悶のときが来る。


そのときこそ

精神性を刺激するのだ。

 

 

時にファッションとは

全く正反対のことを

やってみるのも面白い。

 

 
理屈ではないので

マニュアルはないが

 

自分の精神性に

少なからず影響をあたえてくれるものは

自分なら選び出せるはず。

  
  

インスピレーションに任せればいい。

   
   
「動いている水は腐らない」から。

  

刺激した精神は反応してくれるはずだから。
 

カナブン

大切にしている言葉がある。


「じりつ」


さて漢字で

書くとどうなるか。


「自立」と書くかもしれない。


確かに間違いではない。


が、我々が重要に考えているのは

「自律」と書く。

 

 

自分をコントロールすること。

 

行動はもちろん感情的なことも含めて


自分で自分をコントロールすること。

 

 

自分の目標とする到達地点にたどり着くまで

自分が突き進むべき道を

 

踏み外さないよう

  

遅れないよう

  

見失わないよう

 

自分を監督する。

 

 

カナブン生には実現したいことがある。

  
 

実現するために
今できることは何か。

 

自分に足りないものは何か。

 

しなければならないことは何か。

 

 

自分の強みと弱みを客観的に捉え

状況を俯瞰視して次の一手を打つ。

 

その一手は時に失敗に

つながるものかもしれない。

 

しかし失敗は経験が深まるとき。

 

何もおそれることはない。

 

 

『よしいつか』と思っていても

『いつか』なんてくるわけがない。

 

 
やるやつはもうだまってやっている。

 

 

「成功」を手に入れる。

 
 

何をもって成功とするかなんて

結局 本人にしか決められない。

  
 

ある一定のところまで到達して

「これでいいや」って思うなら

本当はまだそこまで

到達していないのではないかと思う。

  
 

ひとつ結果が出たらすぐ次が欲しくなる。

 

また新たな到達地点が浮上する。

 

 

そんな自己実現の追及こそ

「生きる」ことのひとつだと思う。

  

 

「攻撃することが生きること」。

 
  

  

小さい成功体験をするといい。

 

どんな小さなことでもいいから

約束ごとを自分で決めてそれを守る。

 

ひとつずつ・・・。

 

そしてそれができたなら

ひとつの成功として

自分を認める。

 

 

そうやって成功することに「慣れる」。

  

「成功して当たり前」の意識を

持つことができる。
 

  
自分がやりたいこと、実現したいことは何なのか。

  

  

やりたいことをすべてやるために

今できるひとつに全力集中。

 

 

そうやって積み上げるしかない。

 

  

もう勝負は始まっている。


現在進行形で考える。

 


カナブン生 の覚醒は始まっているのだ。



早朝、ほぼ毎日

犀川の川原に出る。

 

トレーニングというほどでもないが

ストレッチをして

身体がぐにゃぐにゃになるイメージを

持ちながら体をほぐす。


  

不思議なもので

これをやらない日はどうにも気持ちが悪い。

 

時間がいつもより遅めの時間でもダメ。

 

 

年寄りくさい趣味(?)かもしれないが

頭の爽快な状態を作るのには

役立っているようだ。

  

  

スタートダッシュ。

  

先手にはたらき掛ける。

  

気分がいい。

  

  

結果を出したいなら

「朝の時間を有意義に使」うこと。

  

カナブン生 に告げておく。



何かモノを見て

良い・悪いを表現するとき

「眼鏡に適う」と表現することがある。

 

これは見る側の話。

 

では、見せる側はどうか。

 

映画や写真は

「見せる」ことを

前提とした芸術。

 

時に撮影には

レンズにフィルターをかけ

独特の色や滲みなどを使用して

作品に『味』をつけることがある。

 

このフィルターは視界全体を

ある方向性(色)に導いてくれるものだ。

  

 

ファッションデザインにおいての

フィルターとは何か考える。

 

ファッションデザインは

フォルム

カラー

マテリアル

による表現活動。

 

そこにデザイナーの想いをこめる。

 

その想いは

デザイナーの

生き様であったり

感情であったり

匂いであったり

夢であったり・・・

 

それが美意識となってフィルターとして

存在するはず。

 

そしてその想いの中にフィルターが埋め込んであり

すぐに取り出すことができる。

 

「この服 ナントカさんだよなぁ」。

 

このイメージ確立が

フィルターの効果だと思う。

 

  

フィルターによる「隠し味」。

 

それは誰にもまねのできない「味」。

 

 

 

そしてもちろん

 

自分用の「フィルター」は自分にしか作れない。



人間力について考える。


苦しいことを乗り越えるチカラ。


「苦しいことって何?」

学生に訊いたことがある。


「人間関係」と応えた学生。



「摩擦」を辞書で調べた。

 

物理的な意味として表記されているが

三つ目の意味に「軋轢」とあった。


軋轢とは不和。

国語的にはそうだろう。

 

 
 

広告の鬼と呼ばれた

電通 四代目社長 吉田秀雄氏の「鬼十則」の中に

こんな件がある。

 
「摩擦を怖れるな。摩擦は進歩の母 積極の肥料だ。」

 

  

私の過去の体験として

某ファッション系シンクタンクに

在籍していた頃

ちょうど組織改革の渦中にあり、

連日 社内のあちらこちらで問題が勃発していた。

 

当然、私も連日トラブルに

巻き込み、巻き込まれの毎日だった。


同時にこの「鬼十則」を社訓に

取り入れるべく、朝礼ではこの十則を唱和していた。

 

なんとも皮肉といえば皮肉だが

そのときから徐々に

「トラブル」が人間を大きくしてくれるという

自己暗示的な発想が

身に付いたような気がする。

 

まさに「お蔭様」。

  
   

厳しい環境下では、必ず摩擦は生じる。

  

組織が今までと違う何かをやろうというときに

摩擦が起きないわけがない。

  

もし摩擦が生じないなら

それは何も挑戦していないことの証明。

  
 
私は摩擦を好む。

 

トラブルやバッシングが

「好き」といえば嘘になるかも知れないが

少なくとも「嫌い」ではない。

 

なぜならそれが自分にとって

プラスになることだと確信しているからだ。

  

    

個人的に「摩擦」が好きとか嫌いとかは別にして

積極の肥料であることも強く共感する。


 

摩擦を恐れてはいけない。

 

いや恐れを持つことはいいとして

そこから逃げてはいけない。

    

    
摩擦は必ず自分を成長させてくれる。

  

  

カナブンは「摩擦」を肯定する。


何かを伝えたい時

このとき人は

多大なエネルギーを使っている。



では伝えられる側はどうか?

 

自分に当てはめて考えるならば

伝えているときほど

エネルギーは使っていない。

 

  
つまり話しているときと

聞いているときでは

人間にかかる負荷が

明らかに違うようだ。

 

ファッションリテールにおいて

商品について説明したり

お客様がイメージを膨らませるための

アドバイスには多くの情報が必要であり

何より大切なのはそれを実際に

伝えることのできる

コミュニケーション能力である。

 

コミュニケーションとは双方向。

 

こちらが伝えたいことを伝えるために

相手の言葉の真意と

言葉になっていないメッセージを読み取り
適切な言葉とニュアンスを

一瞬のうちに用意しなければならない。

 

そしてその時

聞いている側は話している自分より

負荷がかかっていない状態であることを

認識していることが重要だ。

 

 
なんとも複雑で、難しいものだが

ここを強めれば

これほどコストのかからない効果的な

ビジネスツールはないかもしれない。

 

 

ファッションリテールビジネスを

目指すなら

ここを鍛えなければ始まらない。

 

 

カナブン は『コミュニケーションの達人』になる。



日一日と秋に

近づいている実感がある。

 

カナブン はこの時期、

まもなく始まる後期に

向けて最終調整の時期だ。


スタッフは気合が入る。

  

後期とは年度末、3月まで。

   

 

後期には

コンテスト

検定

そして2つの大イベントが

控えている。

 

そのどれもが

社会に対して

我々の

「やってきたこと」と「できること」を

アピールするものだ。

 

ファッションスクールには

ファッションに関して

大きな使命がある。

 

「解る」と「知る」に加えて

できる」ことがなくてはならない。

 

この「できる」ことに対する評価を

いただく機会が

この後期に押し寄せる。

 

 

カナブンのチカラ

学生のチカラ

スタッフのチカラ


 

もちろんたくさんの不安がある。

誰もが例外ではないはず。

  
そしてそこにこそ

成長のスペースがある。

  

だから挑戦する意義がある。

  

  

「不安」も時には必要好材料。

 

 

 

「恐れや不安を小脇に抱えてやる!」しかない。