6/17(金)【今日の夕食】

今日は牛スジが安かったので、牛スジを使った料理を作りました。時間をかけた甲斐がありトロトロの牛スジが出来ました。

〈献立〉
 *牛スジ煮込み

〈材料(4人分)〉
 牛スジ肉 250g
 大根 1/2本
 ニンニク 1片
 タマネギ 1個
 昆布 1枚


〈作り方〉
 ◯下準備
  1.牛スジ肉を水洗いしてきれいにする。
  
  2.大きめの鍋にたっぷりの湯を沸かし、牛スジ肉を入れ(沸騰した湯からゆで
   ることで、牛すじ肉のうまみを逃がさず、全体の筋を縮ませる)、アクを取
   りながら15分間ゆでる。
  
  3.牛スジ肉を鍋ごと水にさらし、流水で洗う。粗熱が取れたら、食べやすい大
   きさに切る。触ってみて、堅い部分と柔らかい部分に分けておく。   

 ◯加熱
  
  4.牛スジ肉は、堅い部分を鍋にたっぷりの水とともに入れて火にかけ、落とし
   ぶたをし、45分茹でる。残りの牛すじ肉を加えて柔らかくなるまで茹でる
   (目安として全体で1時間半)牛スジ肉とゆで汁を分けておく。
  
  5.にんにくをスライスする。大根は厚めに皮をむいて食べやすい大きさに回し
   切りにする。タマネギは大きめに切る。コンニャクは一口大に切る。
  
  6.鍋にゆで汁を入れ、大根、コンニャク、牛すじ肉の順番で入れる(大根は牛
   すじ肉のうまみがよくしみ込むように下に入れ、しっかり火を通す)さらに
   にんにく、昆布、酒カップ1を加えて強火にかけ、沸騰してアクを取ったら
   中火にし、落としぶたをする。タマネギもここで入れる。
  
  7.大根が柔らかくなってきたら、砂糖カップ1/4、しょうゆカップ1/2を加え
   る。
  
  8.沸騰したら火を止め、少し冷まして、再び火にかける、という作業を3~4回
   繰り返す。温めることで牛すじ肉のうまみが引き出されて、冷ますことで大
   根の中にしみ込む。繰り返すことで、うまみは深まり、全体に行き渡ってゆ
   く。

 オリジナルレシピはみんなのきょうの料理で
 http://www.kyounoryouri.jp/recipe/7850_牛すじの煮込み.html

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 〈牛スジ煮込みにかかったお値段〉
  牛スジ肉…213円
  大根…108円
  コンニャク…88円
  タマネギ…39円
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  合計 448円(1食約112円)
   
昨日の続きを書きます。

日常から変えて行く必要があると書きましたが、何を変えたら良いのか。

・自分の行動を変えること
・自分の周囲の人にその考えを広めること
・自分の行動・考え方を一つのスタイルにまで確立して、そのスタイルに共感する
 人を増やす。

上のようなステップでしか、現実・社会は変化しないと思います。
そのため、まずは小さなことからでも自分の感覚を研ぎすませる。自分の感覚に合うもの・合わないものの区別を付けることを通して、具体的に"自分の行動を変える"ことが大事だと感じました。

そこで、自分一人がすることは小さなことで、自分が何をしたって大きな流れは変えられないという諦めの気持ちを持っていたら前に進まないので、どんなに小さなことでも、自分を信じて、こだわり抜くことからスタートします。

何を変えるのか、具体的な話を続けると、

キーワードは「お金の使い方」、自分が目指したい生活・生き方の追求に全力を注ぐ(全力を注ぐと言ってもマッチョな生き方、禁欲的な生活を自分に無理強いするという意味ではありません。自分の考え方、感じ方に合う生き方を貫くという意味で、むしろ徹底的に自由で、無理の無い道を歩むということです。)
これまで料理ネタのみでしたが、これからもう一つのテーマとして、「本」を読んでの感想と日々感じること、思うことをこのブログに掲載していきます。

料理ネタとは全く切り口が違いますが、これはこれとして読んでもらえたらと思います。

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E・フロム著 佐野哲郎訳『生きるということ』紀伊国屋書店 1977年を読んで

[序章 大いなる約束、その挫折、新たなる選択]
この章を読んで、東日本大震災での福島の原発事故のこと、「辻真一著『スロー・イズ・ビューティフル』平凡社ライブラリー2004年」のことを思い浮かべた。

"私的な生活な生活の場合なら、狂人ででもなければ、自分の存在の総体に対する脅威を目前にしながら、受け身の姿勢を続ける者はいないだろうが、公のことがらに携わっている人びと事実上何もしていないし、自己の運命を彼らにゆだねた人びとは、彼らがずっと何もしないでいるのを許しているのである"という言葉は印象的だった。

現代の資本主義、産業主義、限りない生産と消費を追求する社会は、経済的にも自然資源の点でも破綻に向かっている。それはデータからも明らかだが、政治家も一般市民も大多数の人々はそれに対して何もしていないのだ。という主張だ。この著書は1977年に出されたものだということも考えさせられる。この主張は現在も十分に当てはまると思う。

戦争、原子力の危険、食の危機、環境破壊など地球規模での危機に直面しながらも、日々の生活でそれらの危機に対して具体的に取り組むことが出来ているか?と問いかけてみると、はなはだ心もとない。明日は今日と変わらず来るだろうという根拠のない楽観に支えられて、日常から"危機"は感じられず、どこか自分からは遠い所で起こっている、または起こらないだろうと無意識的に考え日々を過ごしている。

何か一つずつでも行動として変えて行きたいと感じた。