梶井純「トキワ荘の時代」 | 行雲流水的くっぞこ

梶井純「トキワ荘の時代」

 藤子不二雄先生の自伝的漫画「まんが道」で有名な、昭和20年代~30年代にかけて多くの漫画家が住んでいたアパート・トキワ荘。

 そのトキワ荘の漫画家グループの中でリーダー格だった寺田ヒロオ先生を主人公に描かれた評伝です。

 梶井純「トキワ荘の時代」


 梶井純さんは昭和16(1941)年東京生まれ。漫画評論家。令和元(2019)年逝去。


 寺田ヒロオ先生は昭和6(1931)年新潟生まれ。平成4(1992)年逝去。


 トキワ荘は昭和28年に東京豊島区に建てられた二階建てアパート。少年誌「漫画少年」の編集長が住んでいた事で、当時「漫画少年」に「ジャングル大帝」を連載していた手塚治虫先生が入居。その後は28年暮れに寺田ヒロオ先生が入居。29年10月に藤子不二雄先生が入居。と次々と漫画家が入居していきます。


 私が寺田ヒロオ先生を知ったのは、やっぱり藤子不二雄先生の漫画「まんが道」。1980~90年代に発刊されていた藤子不二雄先生の全集「藤子不二雄ランド」の中の「まんが道」でした。

 当時はすでに寺田ヒロオ先生は漫画を描かれておらず、漫画の中で兄貴分の”テラさん”としての認識。そういう”テラさん像”が頭の中にしみ込んでいるから、この本に載っているような”テラさん”像は衝撃的でしたね。

 そういう頼れる兄貴分なところも、もちろん”テラさん”の一側面なんでしょうけど、色々な側面があるんだな~と。

 「まんが道」の続編「愛…知りそめし頃に」の中には、テラさんが漫画を描くのをやめる事を告白するシーンも出てきますしね。「まんが道」を読むにしても、”テラさん”像が複雑に立体的になってきます。


 各漫画家先生のインタビューを読むと、寺田先生が漫画家を止めた後も、新漫画党の各先生方の重しになっているというか、指針となっているというか、寺田先生の影響力は大きいのが興味深いです。


 トキワ荘の時代。昭和20年代後半から30年代半ばまでの短い期間。


 色々な漫画家から見た寺田ヒロオ先生と新漫画党の面々の印象も興味深い。

 寺田ヒロオ先生の一番の友人だったという漫画家の棚下照生先生、赤塚不二夫先生の友人のつげ義春先生、大阪で漫画家グループを組んでいた劇画工房の各先生方。


 ただ藤子不二雄先生の「トキワ荘青春日記」や単行本「トキワ荘青春日記」など、対談や座談会などで寺田ヒロオ先生は登場されているんですよね。そこではかなり楽しげな場になっている感じなんですけどね。うーん。色々と考えさせられますね。