中野晴行「謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影」
中野晴行「謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影」(2007年)です。
酒井七馬(さかいしちま)さんという漫画家をご存知でしょうか?
私は、手塚治虫さんの単行本デビュー作「新宝島」(1947年)の原作・構成を担当された方、というイメージだけしかありませんでした。そして、この本を読むまで、名前の”七馬”の読み方を知りませんでした(謝)。
著者の中野さんは、1954年和歌山生まれ。漫画関係のノンフィクションを中心に活躍されている方です。
酒井七馬さんは、明治35(1905)年大阪生まれ。昭和44(1969)年没。
酒井さんは、大正12年頃から漫画を描きはじめ、その後映画会社に入社し、アニメーターになったり、戦後は、漫画家だけでなく、紙芝居作家になったりします。
でも、一番有名なのは、前述の手塚治虫さんとの共著「新宝島」でしょうね。この漫画、手塚さんの実質的なデビュー作のみならず、一説40万部の大ベストセラーでもある作品です(中野さんのこの本の中では、本当は4万部位じゃないか、とも言及されてますけど)。戦後、昭和20年代後半以降現れた漫画家には、衝撃を与えて迎えられました。藤子不二雄さんの自伝的漫画である「まんが道」とか、そういう記述がありますよ。
そういう、衝撃的なデビュー作を引っさげてデビューした手塚さんと、対照的に、その後は、名前が消えていった酒井さん、と、こういう相対的な評価があるんですね。
実は、この酒井さんに関して、都市伝説とも言えるような噂がありまして。私はほとんど知らなかったですけどね(笑)。いくつか有名なものをあげますと。
・手塚さんとの共作「新寶島」で、酒井さんが、手塚さんの漫画の絵を勝手に描き変えた。単行本の奥付に酒井さんの名だけが載り、自分の名が載ってない。そういう理由で、手塚さんの方から絶縁し、その後はずっと仲違いしていた。
・酒井さんは、漫画界から足を洗い、晩年は、不遇のうちに過ごし、裸電球で暖を取り、コーラだけを飲み飢えをしのいでいたが、最期は餓死した。
まぁ~、↑の、2つの噂というのは、色んな断片的な情報に尾ひれが付いたデマで、かなり誇張された話なんですけどね。この本を読むと、結構信じられていたみたいですね。
いったい何が真実なんだか。亡くなられて、40年も経ってないのに、こうもデマが広がっていくものなんですね~。
その酒井さんの生涯を、関係者や、酒井さんの身内からのインタビューでまとめたものです。冒頭の、中野さんが、酒井さんの墓参りに行くシーンから、思わず本の中に引き込まれてしまいますね。
それらのインタビューからつむぎ出される、酒井さんの実像。「新宝島」共著の場面など、興味深いですね。
前述のデマと違い、戦後も漫画を多数描き、その後は紙芝居、絵物語作家として活躍し、手塚さんがアニメ「鉄腕アトム」で苦労していた時は、彼を手伝おうと、アニメーターになったり、活躍されてます。
この本のサブタイトル、”「新宝島」伝説の光と影”。”光”は、手塚さん、”影”は酒井さん、と言う事なんでしょうけど、実際は、全然「影」じゃないですよ。手塚さんの知名度と比べれば…の話でしょうけどね。
手塚さんは、過去の作品も、常に現代風に描き換えていった人なんですね。この「新宝島」も、今、出版されているものは、昔のものとは全然違うもので、酒井さんが描いていた部分や、酒井さんの痕跡が残らないほど、描き換えたものらしいです。
それだけに、元版(酒井さんとの共著版の)の「新宝島」も読んでみたいですね。この本を読んで、更に興味深く読める気がします。