外に何かを求めてるたり、探しているときは、自分が自分にそっぽ向いてるとき。
というか、自分につき合いたくなさすぎて。
誰かや何かを間に挟みたい。
直はキツいのだ。
だって、思い通りにならないもんね。
思考はグジャグジャと出てくるし。
感情に右往左往と振り回されるし。
思っていたのとは違うし。
身体は痛くなったり、ガタがきだすし。
あの人の方が素敵だしね。
「うまくいかない、問題解決しなきゃなぁ、けど力不足の足りない私」という物語。
もう延々と続く格闘だったー。
「戦ったり、埋めたり、探したり、イヤんなっちゃった」、、。
そこから、ヒプノセラピーで催眠の構造に気づいたときに、フッと「ただ見る」視点への移行が。
「しーーーーん」とした視線。
逆に怖すぎた。
自我は暴れる。
「そっちは死ぬぞ」「まだまだ気を抜くな」「そんなシンプルなもんじゃない」と。
自我はジタバタと動く。
それでも、
「あれれ、なんか苦しくなくなっている」
「問題と思えない」
「軽い」
(大丈夫か?マヒしたのか?BY自我)
思考、感情、身体のほうに戻る、そして、ただしっかり感じる。
なんか「しーーーん」が、それを見てる。
たまに「しーーーん」に戻る、なんてのを繰り返した。
バイロンケイティさんのワーク、奇跡講座がさらなるダメだしをしてくれた。
そもそも、私と思っているものは、なんの実体もなかった。
「しーーーん」の方が私。
いろいろなものが生じ、通り過ぎては終わっていく。
問題になりようがない。
豊かな恵み。
永遠の光。
「えーーーん、ジタバタな私と別れるの怖いーーー」
ちょっとずつ、ちょっとずつね。
掴んだ、だけど、そこから、ただ眺めた。
自分が掴んでいる「物語」を、ただ見る。
ただ置く。
その、ちょっとずつの体験をさせてくれたのが、これまで出会った方々。
関わりの中で、そのときどきの自分、その選択や行動、自分の表れの一部に出会う。
そして、それらは、「しーーーん」を通り過ぎる。
「物語」は「しーーーん」に昇華していく。
絡みあった「物語」は、まじまじと見られ、慈しまれ、ほどけ、光に溶けていく。