【オープンカフェ】のワークについて

自我という夢から、本当のわたしへ

 

1.自我は「分離の夢」

● 自我は、癒しを拒む機能

わたしたちは、真の正体である「全体性(=実相)」を思い出すまで、「自我」という分離のはたらきに入り込んでいます。

 

これは、催眠状態のようなもの。

 

無意識のまま、自我と同一化しています。

 

そして、それぞれが信じている“分離のかたち”に入り込んでいて、それを体験し続けています。

 

● 自我どうしは、わかり合えない

”違うこと”が前提である自我どうしでは、完全にはわかり合うことができません。

 

言葉の解釈が人それぞれなので、「分離」の特徴通り、すれ違うようになっているのです。


自我の世界では、「わかって欲しい」「わかってくれない」という疑心暗鬼の中、孤独と疲弊をくり返しています。

 

すでに脅かされています。

 

そして、このことに気づかないようにしながら、これ以上脅かされないよう警戒し、防衛し、閉ざし、独りよがりな思考に引きこもっています。

 

正気ではないのです。

 

分離なので、閉ざしたままです。

 

なので、深刻さを帯びています。

 

傷つく前提なので、傷つき続けています。

 

閉じている前提だからこそ、人の領域に入り込もうとし、分離前提だからこそ、束縛し合う関係を作ります。


私たちは互いの「欠乏意識」に「欠乏意識」で応じ合い、「わかり合えなさ」のやりとりを続けているのです。

 

● ダブルバインドの苦しみ

こうして、「分離の信念」により、表面では平静を装っていても、内側では思考に振り回され疲弊しています。

 

無意識に「全体性」を拒絶し、「探すけれど、見つけない」という罰ゲームのような状態を生きています。

 

 

2.落とし穴・・自我を「癒そうとする」こと

● 自我は、ただの機能

自我とは、思考の働きです。

 

実在していません。

 

ただ、思考とそれに伴う感情、感覚、体の反応にて、実在を装っているだけです。

 

● セラピストとしてのジレンマ

わたしが心理の構造を元にセラピーを始めたのは、不確かな世界への怒り、自我への絶望、自我への改善欲からでした。

 

これらを癒し、正して「良い自我」にしたかったのです。

 

でも、この動機こそが、自我との同一化ゆえであり、自我をリアルに仕立て続けていたのです。

 

● 自我に対する慎重すぎる関わり方

拒絶を避け、信頼を育むために、自我を刺激しないよう注意深く接してきました。


心理の学びからは多くの気づきを得ましたが、自我に対して過度に慎重になっていました。

 

自我を怖れていたし、思考の働きに悪戦苦闘し、遠回りばかりしていました。


まるで風が通らないようなジレンマがありました。

 

深刻で、緊張していて、・・・、結局「分離」を土台にしていたのです。

 

 

3.自我は「癒されない」ことで存在する

● 癒されたら、自我でいられない

そもそも自我は、「楽」になるを拒むことで存在しています。

 

深刻で、緊張しているのは当然だし、癒しや赦しを拒み続け、抵抗しているのは当然なのです。


自我を癒したり、変えたり、改善したりすることはできないのです。

 

● 自我の機能は、分離感にて温存されている

自我を腫れ物のように扱えば扱うほど、それは強化されるのだと気づきました。


「自我」の延長に「全体性」はなかった。


そして、「自我」を改善する必要はなかったのです。

 

 

4.全体性への信頼が始まるとき

● くつろぎとともに関わる

こうして、自我の正体がくっきりと明らかになり、フッと意識が反転。


「全体性」が広がりました。

 

確かさ、静寂の中だけにいたのです。


一致しました。

 

これまで、スルーし続けていただけでした。

 

ただ、確かさがありました。

 

それからは、形の世界との関わり方や、目的、感覚がすっかり変わりました。

 

すべてが祝福だったのだと安堵しました。

 

そして、この確かさ、平安を妨げる「信念」に気づくための問いや、確かさへの閃きがどんどんわいていきました。

 

 

● 導かれるように

身体、パートナーシップ、親子関係、お金、痛み、罪、善悪、生死、生きがい、天命・・。


わたし自身が深刻な意味を持たせ、自我に居座るために留めていたテーマたち。

 

そうすると、同じテーマを持つ方と出会い、その方と共に信念を見て暴いていく機会が訪れます。

 

● 信念があぶり出されるプロセス

自我とは、自我を守るために何層にも複雑に絡ませている信念です。

 

意味あることとして、重要だとして信じられてきた思考、その言葉、感情、感覚などを表に出していきます。

 

出すこととは、看過するということ。


その信念とそれを演出してきた感情、感覚が表れて消える。

 

この見守るという作業ができているということは、自我を見守る視点があるということです。

 

見守る視点に気づき、見守る視点側へ移動すると、自我意識への認識が軽くなり、そのうち自我への認識は何でもないものになります。

 

 

5.自我の正体

● 自我の「言い分」に気づく

自我をリアルに仕立てあげているのは、「死」への信念。

 

「死」を回避するための防衛の信念です。


それらを指し示している言葉や表現を明るみに出し、真摯に、そして丁寧に関わってあげます。

 

「死」は「分離」の特徴の最たるもの。

 

同時に、「生(愛)」への拒絶も最たるもの。

 

死を事実として信じ込むことで自我に居座っている。

 

分離を信じているから、死は確かなものだと思い込みます。

 

だけど、死は思考なのです。

 

死という概念は、思考が作り出したストーリー。

 

「分離」の機能に乗っかっていた、というだけ。


そして、このこと自体を良い悪いと評価せずに、ただ信じていたんだなぁと気づく(見る)。

 

それと同時に、それにくっついている感情、感覚を感じる。

 

ちゃんと見る、味わうことができるってことは、自我を恐れていないということ。


握っていた信念を、素直に、無邪気に表現すればするほど、自我の実体のなさは暴かれていきます。

 

隠すことで深刻さやリアリティを保っていたのです。

 

なので、直接見つめ、感じ、受け入れ、その健気さに理解を示すのです。

 

もう一つは、「これは本当?」と問い直すこと、疑うこと。

 

自我は、自分なりにベストを尽くしてきただけですが、ただただ疲弊し、不毛さをくり返しています。

 

死への恐怖や疲弊や苦しみが常。


けれど、疑うことで、そこにいる必要がないという体験をしてみるのです。


緩み、、、愛と慈しみの、正気の視座の心地よさとしっくり感にて自我から速やかに離れます。

 

● 関係性は、自我の鏡

相対である人との関係の中にこそ、分離の信念が映し出されます。

 

それを隠さずに気づき、言葉して書いたり、言ったり、聞いたりしてみます。

 

「隠さず見る、表現する」とは、相手や外側に対する不満や、自分への不平不満を隠さないのではありません。


関係の中に持ち込んでいた分離の信念をあばいていくのです。

 

だからこそ、とっかかりは、相手や外側や自分への不平不満からになりますが・・・。

 

大事なのは、その不平不満の土台にある信念です。

 

例えば、「あなたは冷たい」や「わたしはダメな人間」ということだけではなく、その奥にある「わたしは分離していて、弱い、脅かされている、不足している」という信念にたどり着き、この信念を「それは本当か?」と疑うのです。

 

● 隠さずに見れば、自然と全体性へ

自我は不確かさ、不自然さ、無意味さで出来ています。

 

よくよく見れば、根拠なんかないんです。

 

分離が思考の産物だと気づくと、分離を守ろうとする力も、全体性を拒む力も、静かにほどけていきます。

 

すると、自然と全体性の体感が訪れてきます。

 

 

6.すべては、本当のわたしにめぐり合うために機能している

● 急がなくていい

焦らなくていい。
競わなくていい。


そもそも自我は「生(愛)」を拒む性質であり、永遠に全体性に抵抗し続けています。

 

そして、自我に気づけば、全体に気づけます。

 

● 相対的な世界のすべてが、気づきの機会

自我機能に気づく機会が、全体性に気づく機会。

 

自我の機能に気づく機会が、同時に「生への扉」です。


無意識の”解釈”に気づきます。

 

無意識の働きを意識するのです。


それが転機です。

 

● わたしを通して立ちのぼる香り・響き

やがて、自我が退いたところの“余白”に、本来の佇まいや、香り、響きがあらわれます。

 

というか、もともとあらわれていたことを自分が自覚します。

 

自分の光に自分が包まれていることに気づきます。

 

自我はそのままでも、なんの問題もないのです。

 

序列のない光は、自我も包み、永遠に延び続けています。

 

あらわしたかった光はすでに漏れ出てて、隠すことは不可能だったんです。

 

自分だけが抵抗してたんです。

 

だから、やめるのは抵抗だけです。

 

光を表わすだけなのです。

 

・・・

 

形ある世界と時空間にて、本当のわたしと出会います。

 

光を受け入れ、表す。

 

この当たり前のわたしを生きるのです。

 

・・・・・・

 

 オープンカフェ・ワーク会のご案内

 

リアルオープンカフェ(対面・1日〜3日)


公開セッション形式で行う、気づきと解放、オープンさを体験する場です。

 

概念を生きるわたしから、全体性を生きるわたしへ。

 

【内容】

 

・公開セッション…ファシリテーター(かおり)と1人の参加者との対話(内側)を、他の方が静かに見守ります。

 

・無意識だった信念を、問いかけを通して整理していきます。

 

・それらの自然な流れを見ます。

 

・どんな表現も大切に扱われる「安心・非ジャッジ」の空間です。

 

【体験】

 

・セッションしている側も、見ている側も場に参加すること自体がワークになります。

 

・話す人も、見守る人も、どちらも同じように大切な役割です。

 

・見守るだけでも、自分自身のテーマと響き合い、深い気づきが起こることがあります。

 

・「自我の視点」と「全体性の視点」の違いを体感します。

 

・トランス状態ではない、深い静寂、無邪気さ、中立さ。

 

・形の世界へ具体的な関わり方も整っていきます。

【詳細】

  • 開催地:各地(ご希望も受付中です)

  • 日程:1日〜3日間

  • 参加費:開催地により異なります

  • お問合せください:こちらからどうぞ

 

◆ 通常のオープンカフェ(in熊本)

日常での無意識をシェアし、問いかけ、気づき、オープンさを体験する場です。

 

誰かが語るテーマが、不思議と自分にも響く・・・。


無意識にとどまっている「自我の視点」や「思い込み」に気づいていく場。

【内容】

・日常、気になっていたことなどを安心してシェア・質問することができます。

 

・適宜、話題に応じてワークも体験します。

 

【詳細】

  • 開催形態:対面(ご希望の方全員参加可)

  • 時間:約2時間〜

  • 参加費:1,000円 ~または ドネーション(お気持ち制)

  • 開催場所: 熊本市内の公民館・自宅など

  • お振込先 こちらをご覧ください

     

  • お問合せください:こちらからどうぞ

 

◆ zoom トーク会(不定期・無料)

 

お話をしたい方、どなたでも参加できる自由な会です。

 

特に内容は決まっていません。

無邪気に参加してください。

【ご参加にあたって】

  • 通常顔出しで、ミュートなしでの参加です。顔出しなしでもOKですが声での参加をお願いしています。

  • 気楽さ、オープンさ、本当の親密さを思い出すの機会になればいいなぁと感じています。

【詳細】

  • 開催形式:ZOOM(オンライン)

  • 日程:不定期(メーリングリストでお知らせ)

  • 時間:おおよそ2時間〜

  • 参加費:無料

  • ※参加URLは、

    ID:  540 951 0958
    パスコード:129135

    zoomのURL です→ URL:

     

  • お申し込み方法:Googleメーリングリストへの登録が必要です


     ⇒ 登録ご希望の方は、メールにて「kuzira826@yahoo.co.jp」までご連絡ください

     

  • お問合せください:こちらからどうぞ

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長文、読んでくださり、ありがとうございます。

何度も書き直して、以前の文章も何度も直しました。

 

たくさんの言葉を重ねても、結局伝えたいことは、とてもシンプル。

 

わたしはわたしを生きていて、あなたはあなたを生きていて、それは、まったく同じ光。

それでも、なぜか出会って、このことをただ確認し合う。

 

そんな機会があるなら、どこかの場でご一緒できたら、とても嬉しいし、幸せです。

 

・・・
 
『私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。
あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。(フレデリック・パールズ)』
 

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『知識の中に居る霊は、自我に気づいていない。霊は自我を攻撃しない。ただそのようなものをまったく思い描けないだけである。自我も同様に霊に気づいてはいないが、何か自分よりも偉大なものに自分が拒絶されていると知覚してはいる。(奇跡講座 テキスト 第4章 Ⅱ 8:6~8)』


自我は裁きなしには生き残れず、裁きがなくなれば退けられる。その後は心が進み得る方向はただ一つである。その方向は常に自動的に定まる。なぜなら、心は自らが信奉する思考体系から指示を受けざるを得ないからである。(奇跡講座 テキスト 第4章 Ⅱ 10:3~5)』

 

 

悪夢を自覚することには利点があるが、それは単に、悪夢は実在しないということと、その中に含まれるものはどれも無意味だと教えることができるという利点である。癒されていない治療者(ヒーラー)はそれを信じていないので、これを行うことはできない。(奇跡講座 テキスト 第9章 Ⅴ 3:1~2)』

 

090-1191-5554

kuzira826@yahoo.co.jp

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茂藤かおり