幻想である「恐れ」の思惑を、「そう信じていたんだなぁ」とまずは認識、自覚、書き出したりを、するなりする。
そうして、それらの思惑を、ただただ「静寂」に差し出せばいい。
幻想を真理のところに持っていったら、そのまま持ち続けることなんてできない。
「恐れ」なんて何の値打ちもないものだから。
それでも、「恐れ」の物語を自分で作り出し、病気や苦しみを固く信じて、それを生き方として使っている間は、
「恐れ」を取り下げるのは「死ぬこと」に等しいくらい怖いことになるし、混乱する。
自分だと思い込んでいた生き方という支えを失ってしまう感覚があるから、「恐れないこと」が恐ろしい。
なので、静寂は、ただ、気づくのを待っている。
「恐れないこと」が恐ろしい、ということが、ただの誤解だったということを。
そして、待っているというより、ずっと変わらずそこにあってくれている。
「癒しは、脅かすものと見なされたときには、退く。歓迎された瞬間に、そこにある。」(マニュアル編 6.2~)
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私も、誰かも、それぞれが思考で作り上げ、信じていることを体験している。
その信じているすべてを取り下げることに多大な勇気が必要だったりする。
取り下げることに、抵抗するし、犠牲的な感覚になる。
勇気=信頼
この世界は教室。
勇気=信頼を思い出す教室。
降りた階段を、そのまま上がる。
向きをひっくり返す。
作ったものを返上する。
それが、勇気であり、信頼。
それを体験できるのがこの世界。
手放すべきものが見えても、まだ手が離れない。
価値がないとわかったのに、まだ握っている。
そんな時期が死ぬほどあるけど。
それは"自分"を取り下げるように感じるから。
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本当は、本来の自分への芽生え。
そして、勇気=信頼とは、それらからの結果への期待のためのものではない。
自分自身そのものが勇気であり、信頼というフィーリングなのだと、ただそこに帰るだけなのだ。
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『あなたが自分自身に教えたことは、一切、忘れなさい。なぜなら、あなたは間違ったことを教わったからである。もっと良いレッスンを学び、それを保持しておけるというときに、誰が無分別なレッスンを心にとどめておきたいと思うだろう。往古の憎しみの記憶が現れるとき、その原因はもうなくなっているということを思い出しなさい。(テキスト・28・ 1・7~)』
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引用されていただいている本は、「中央アート出版社 奇跡講座」です。