5月のHummingcafeの開催を終えて、
はじめての試みでしたので、「どうなるだろう」と私の自我ちゃんはドキドキでした。
ですが、毎回新しさしかないわけで。
何もわからないし、わからなくていいわけで。
ですので、ただ、もうそのまんま、あるものを流れるままに出すだけ。
自我ちゃんも順調で、「ブツブツ」と防衛反応を起こしてますが、「よしよし
」と看過してあげながら。
Hummingcafeでは、ある意味での視覚的な情報に意識を向ける必要がないような形を試みています。
コミュニティにどうしたって生じてしまう独特の関係性ではないコミュニティ・・完全には不可能かもしれませんが。
ただひたすら自分の「個人(自我)」を、安心してじっくりと見つめながらも、それをホールドしている全体性をゆっくりを感じられるスペース。
そんな中で、後半は、「公開セッション」をさせていただきました。
そして、参加された方から、「心眼」「聖霊のまなざし」からの気づきをいただいたので、ここでシェアしたいと思います。
「心眼」「聖霊のまなざし」とは、スピリチュアルとかいうことではありません。
特別な力も、不思議な能力も身に着ける必要は全くありません。
どっかから得なきゃいけないわけじゃありません。
ただただ、「正気」さにゆだね、自我の思考を脇に置いた、清々しいまでの本来の視点になります。
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さん
『母の事について、見て見ぬふりをしていたことを、○○さんの公開セッションを機に、自分でもやってみました。
「母が障害者になってしまって悲しい、寂しい」という思いについてです。
これは、母と一緒に過ごすたびに出かけた先で感じていたことでした。
母と同年代の健康な人、その娘さんであろう人が楽しそうに過ごす場面を見て、自分たちとの「違い」ばかりを見ていました。
母を見る、他の人の何ともいえない視線、あからさまに不快な表情を向ける人などにも困惑しました。
で、いろいろ書き出して、「その思いを思ったことのない自分だったら」と、自分に問いかけました。
・ありのままの姿の老いてきた母
・ただ一人の人間、女性
・母がどんな姿になっても、親子であることには変わらない
・強い人
・面白い人
そして、信念のひっくり返しをしてみたら、どうなるかなぁ・・・と。
そしたら、
「障害者って、なんなんだろう?」
「母にはできないこと、不便もたくさんあるけど、母は本当に障害者なのかな?」
「なにが障害なの?」
「なにがダメなの?」
という純粋な「はてな?」が出てきました。
そうして、ひっくり返してみると、
「母は、障害者ではない」でした。
なんと!
「思い」に囚われなければ、母は、ありのままの姿の一人の人間。
「障害者」は自我のラベリングでした。
へぇ~!ボタンがあるなら何回も叩きたいような(笑)・・。
聖霊の見方がいつだってこうなんだなぁ!と衝撃的なひっくり返しになったので、ここでこうして報告してみました。
今までも、両親についてはいろんなワークをしてきたんですが、今回、一番気持ちが楽になりました。
障害者だけど、ある意味では障害者ではないんですよね。
後者のほうが、より真実だと感じます。
次に母と過ごすときが楽しみになりました。
なにかを表わすための言葉って便利ですけど、思考だけではなくて、「障害者」とか、「病人」とか、「嬉しい」「悲しい」とか言葉に対してもたくさん囚われているんだなぁと思いました。
時には、泣きながら・・、こうして思い立った時に、「思考」をひっくり返していきます。すごく発見があります!』
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さん、ありがとうございます。
「思考」という構造を疑うこと。
それは、自我的な無理やりのポジティブシンキングとは全く違う。
シンキング(信念)の働きからの解放。
それが、心眼、聖霊のまなざしですね。
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【6月のご案内】
★ワーク会(熊本) ➡ ●
日程 6月21日(日))9:30~
場所 龍田公民館(和室)
参加費 5,000円
★京都のワーク会が10月9.10.11日に決まりそうです。
会場の手続きができましたら、あらためてお知らせ致します。
どうぞよろしくお願いします。
★Hummingcafe ➡ ●
6月のテーマ
「自己防衛について」
『防衛をやめたときに訪れるのは危険ではない。それは安全である。平安である。喜びである。そして神である。(奇跡講座・マニュアル 四.Ⅵ 11.12.13.14.15)』
①6月14日(日)9:30~
②6月28日(日)9:30~
※ この日程で参加が出来ない方も、アーカイブで視聴できます!
お問合せ、ご参加お待ちしております。
YouTubeもアップしました。
心眼を身体の機能側から言葉にしてみました。
これについてはまたもう少し、かみ砕いて言語化をしたいと思っていますが・・・。
よかったら聴いてみてください。