本当に、誰の目線に従っていたんだろう?

「いつも誰かに見張られているような、、」


「その目線に沿うようにしなきゃ」と、その目線に申し開きをするかのごとく生きている。

「わたし、間違ってる?」
「ダメ?」
「これで合ってる?」

その誰かは、


家族?

世間?

神様?。

後ろめたさ。

罪悪感。

不確かさ。

ほんと〜に、分厚い自我の夢。

母の施設に面会に行ったとき、認知症の母がいきなり、ぼんやりと呟いた。


「わたし、悪いこととかしないようにしてるんだけどねぇ」


ハッとして、そして、切なくなった。


母に、「なんも、悪くないよ」と伝えたが、言葉じゃないんだろう。


写し鏡。


「罪意識」に寄っかかって、正解を探ろうとしてることに気づく。


家族も、世間も、神様も、わたしも、全部、ひとつのものなのに。


寄っかかるものじゃない。


なんでもないものだった。


その自我の有り様を見て、切なさを感じながらも、そのなんでもなさが通り過ぎていくのを見守るだけだ。


わたしからわたしへのメッセージ。


その都度、気づく。


良いも悪いもないし、本当は、何にもわからない。


その無意識の分離感を認める。


その先にいつも静かにあり続けているもの。


確かなのは、愛。


誰目線なんてない、幻なんだ。


愛目線。


または、わたし目線。


何かに戻った、というより、そこから一度も離れていない。


揺るぎない感覚が満ちてくる。

最初からある。


思い出すだけ。


自我ちゃん、お母さん、わたし。


ありがとう。