ワーク会について、あらためて書いてみます。
~日常こそ「生のワーク」~
日常がワークだと思っています。
日常のほとんどが自我の防衛の自動反応=思考。
しかも、無意識。
ですので、ワークの場は大きな一助となります。
体験してみると「しないより、した方がいい」と思えるほどのインパクトがあると思います。
~hummingでの"ワーク"とは~
形でいえば、ゲシュタルト療法、催眠療法&NLP、バイロンケイティさんのワーク、奇跡講座ワークブックを合わせたようなもの。
「本来の自分を自覚する」。
そのためには、心身を通し自分で自分のストーリーを見て(感じて)、気づく。
お一人おひとりの中に「今」息づいているものを、表わして、言葉にしたり、感じたり、体感して。
それが、ストーリーから降りる体験となっていきます。
これまで、自作のストーリーを盾にして、認めてこなかった奥底にある本質を受け入れ、体感します。
そのストーリーとの同一化に気づく、問いや声でファシリテートしていきます。
~自我のしくみ~
自我は、「全体ではなく個体として生き延びるため」「分離を体験するため」に思考を使います。
そしてそれに伴う感情、身体感覚に浸ります。
自我は、絶えず「得か損か」「価値があるか、ないか」「良いか悪いか」と、意味づけて機能しています。
その働きは馴染み深いもの。
完全に「自分だ」と信じ込んでいます。
自我の根っこは愛です。
ですが、それを「罪深さ」として誤解し、混乱して、ねじれてしまっているのです。
孤立をわざわざ強化して、自分で苦しみを選び、苦しんでいます。
~ワークの場で起こること~
ワークの場の「他の人」は合わせ鏡。
相対的な場だからこそ、自我が出ます。
自分のワークの体験だけでなく、他の方のワークを間接的に体験することで、盲点だった信念に気付けたりします。
結果、他の人と一緒に解放されていったりします。
自我は、隠すものでも、裁くものでも、責めるものでも、改善するものでも、美しい言葉で覆うものでもありません。
その健気さや必死さをただ見ていく。
こうして、丸ごと知っていくことで、自我の実体のなさは見抜かれていきます。
「深く信じていただけなんだ」と体感を通して実感する。
これが、慈しみです。
そして慈しみこそがわたしたちです。
~存在の光~
苦しみの根本は、「自分の本質」を否定していることです。
自我を「個人だ」「不十分だ」「無力だ」「罪だ」と意味づけて自分を曇らせていますが、本当は光を隠すことなどできません。
光は、常に、発光しています。
それは着飾ったり、何かを成し遂げたりすることではなく、存在そのものの発光です。
存在の光に、努力も意味も条件も要りません。
最初からわたしたちはその光自体としてたゆたっているのです。
~ワーク〜
ただ、今ここに息づいているものを素直に見ていく。
・・・「真ん中に座ってみる」・・・
自然さにゆだねる。
そこにある存在の発光と共鳴します。
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~コチラ(hatena blog)では、「奇跡講座」の以前取り組んでいたワークの記録等を書いてます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
