「なんでこんなところに生まれてきちゃったんだ」と小さい頃からずっと思っていた。

 

 

家も、田舎も、家族も、両親も、学校も、社会も、世界も、そして自分も嫌だったし、居心地悪かったし、しっくりこなかった。

 

なにがなんだかわからない。

 

ずっと混乱していた。

 

望むのは「平安」。

 

あゝこれだ!静かだ!平安だ!となったのも束の間、蠢く物事の渦に入り込むということを繰り返してきた。

 

・・・

 

「平安」を揺らがす大元に両親がいた。

 

彼らが幸せではないように見え、常にわたしの心に影を落としていた。

 

とくに、母と離婚した後の父の、「孤独」からの荒れた人生をサポートすることには、心身がすり減る思いだった。

 

不定期に来る父からのヘルプの連絡に怯え、自分のことや子育てに心置きなく専念できなかった。

 

父に「自分の人生を引き受けてほしい!幸せを受け入れてほしい!」と迫ったところで、話は通じない。

 

不幸そうな父が疎ましかったし、そんなふうに思う自分を責めた。

 

それでも、心の探求にて、本当は何が起きてるのか?と。

 

「外」ではなく、自分の内側に意識を向けるようになっていった。

 

そして、徐々に、、「外」は「分離」の信念の投影だと実感しはじめた。

 

どうやら、父が問題なのではなく、自分という「個人」を通して見ることで、世界や父を不確かに見てるだけだと。

 

自分(自我)は不確か。


その不確かさを"ダメ"なことだと意味づけし、赦さずにいる。


その投影として父、母、を見てるのだと。

 

そう気づいて、「個人」という認識がゆらぎはじめた。

 

自分や人の不確かさを責めなくなっていった。

 

だけど、「個人」を完全に手離すことに犠牲的な感じ、奪われる感じ、被害を被る感じがあり、抵抗があり、行きつ戻りつをくり返した。

 

このまま「個人」を手離していいものか?怖かった。

 

「個人」を強く信じていた。

 

「個人」の特徴は、罪悪感、被害者意識、加害者意識、犠牲心、剥奪感、欠乏感、空虚感、虚無感、絶望感・・。

 

それをリアルなものに仕立て上げる感情感覚。

 

これらをなるべく冷静に見て、感じるままにした。

 

すると、「個人」という"自我"を、無条件に受け入れる深さだけ、それらは通り過ぎ、意味づけが薄れた。

 

同時に、「個人」ゆえのかけ引きのパフォーマンスをしそうになったら、取り下げた。

 

例えば、「親」を心配して思いやっている娘のふりをしたり、頑張ってるアピール、我慢して無理するなど、できなくなってやめていった。

 

「人や社会の評価や期待」のために頑張ること、我慢、無理もやめていった。

 

「防衛」に気づくたびに「防衛」をやめていった。


純粋な喜びのみに従った。

 

そして、やめたときに起きる「恐れ」「罪悪感」、純粋な喜びに伴う「恐れ」「罪悪感」を受け入れた。

 

素直に、心をオープンにする方向に向いた。

 

父とどう関わるかの前に、わたしが自分とどう関わるか?だった。

 

抱え込まない、出来ない、応えない、助けない、助けを求める、何がなんなのかわからないことを認める、取り繕わない、隠さない、良いか悪いかわからない、決めつけない、聴く、聞く、頼る、受け入れる、寄り添う、労わる、手離す、ゆだねる。


そして、根拠なく元々備わっている喜び、祝福。

 

この世界のルールのようなものに煽られ、それに合わせようとしたり、誰かの期待に応えようとしているのに気づいたら、それをやめる。


冷静さと静寂さにゆだねるようになっていった。

 

「外」で何かが起こっているわけではない。

 

「分離意識」の機能に気づくだけ。

 

ただ、むずかしかった。

 

なぜなら、「分離意識」はほぼ「無意識」。


ほぼ「無自覚」。

 

「分離意識」は、あらゆるものに当たり前のように浸透している。

 

だけど、はたと、「分離」に気づく。

 

「動揺」「恐れ」「苦しみ」「抵抗」「葛藤」「かけ引き」。

 

それらがあることを誤魔化さない。

 

その感覚をただ見る、ただ受け入れる。

 

そして、「個人」の防衛としての行動をやめる。

 

静けさのそのまんま、退いたまま、成り行きにゆだねる。

 

すると、自然で、合理的で、素晴らしく、美しい、絶妙なタイミングで物事が運ばれていく。

 

運ばれていったのだった。

 

父との関わりは、意味からの解放の気づきの機会でしかなかった。

 

それから父は、あるご縁にて、なかなか入れない人気の特別養護老人ホームになぜか入ることができた。

 

社会のシステムを毛嫌いしていたが、ほぼ強制的に社会と関わることになったおかげで、さらにわたしの中の変なこだわりも消えていった。

 

そして、たくさんの人と奇跡と感謝の体験をした。

 

自我の反応や葛藤もその都度出てきたが、そのすべてが全体性に戻る機会だった。

 

父は、奇跡的に「母」と再会したのち、気が済んだかのように、何も食べなくなり、静かにこの世界を後にした。

 

父の肉体の終わりを見届けたのは、素晴らしい体験だった。

 

父を通して「個人」「肉体」「死」の実態のなさと、父の「確かさ」を自覚した。

 

「死」はなかった。

 

父の、この形の最後についてのことは、またいつか言葉にあらわす日がくるときに書くかもしれない。

・・

 

そして、母。

 

認知症になり、わたしが、彼女のかわりに彼女の今後のさまざまな選択を引き受けなければならない状況になった。

 

気乗りしない。

これまた複雑。


母のせいで、人生の大半振り回されてきたという「個人」の犠牲的な記憶がまたもや浮上して、逃げ腰になった。

 

それでも、やはり、「外」で何かが起こっているわけではないのだ。

 

意味づけに気づき、「分離意識」に気づく機会。

 

抱え込まない、出来ない、応えない、助けない、助けを求める、何がなんなのかわからないことを認める、取り繕わない、隠さない、良いか悪いかわからない、決めつけない、聴く、聞く、頼る、受け入れる、寄り添う、労わる、手離す、ゆだねる。

 

「全体性」の心で導かれるままの行動に、身を任せる機会。

 

突然、7、8年前から母と関わり、母のお世話をしているという人が現れた。

最初は得体の知れなさに気味が悪かったが、話し合いを続け、その人の素性や、母への熱心な思いがわかっていった。 

 

その人にお世話になりながらも、「共依存だなぁ、イヤだなぁ」と感じていたし、母とその人の関係に関わるのが面倒くさくて、なんならその人に全部丸投げしようと思っていた。

 

だけど、認知症で数秒で出来事も人も忘れる母に、「本当はその人とどう関わりたいか?」を確かめることはできなかったので、付かず離れずで様子を見るしかなかった。

 

だけど、この夏、母の身体が思う様に動かないことが続いたとき、いよいよ母とガッツリ関わることになった。

 

それまでも、学びや気づきにて、本音をぶつけ、謝り合って、その後は、父との再会と和解に立ち会ったりと、正面から関わってきたつもりだったが、まだ先があったのだ。

 

認知症だから、これ以上の意思疎通は無理だと諦めていたが、それは思い過ごしだった。

 

母と共にいると、母が常に"緊張"していることに気づいた。

 

「ゆるされたい」んだと感じた。

 

何もかもから「ゆるされたい」と。

 

そう、外」で何かが起こっているわけではない。

 

わたしが、「完全にゆるされたい」んだ!

 

「罪」に意味を見て、執着しているのはわたし。

 

「愛」をこばんでいるのはわたし。

 

そして、このことに気づいて、受け入れたら、ゆるんでいった。

 

母のおかげで、またまた億劫だと決めつけている社会や行政と関わることになったのだが、やはり、全ての出会いが素晴らしく、そして、ありがたかった。

 

母もまた奇跡的な出会いにて、素晴らしい環境と人たちのグループホームに入所することになった。

 

それに伴い、これまで母と祖母が30年以上過ごしていた市営住宅をわたしが片付けることに。

 

捨てられていなかった大量の郵便物などの中に、母の思いが綴られている手帳や、わたしの子供が小さい頃にチラシの裏に書いたお絵描きや修学旅行のお土産の包み紙や、わたしが書いた手紙など、おそらく全部、取ってあった。


だいたいのそれらの紙には「ありがとう」と母の文字が足されて記されていた。

 

それらに目を通してながら、片付けながら、母に対して向けていたさまざまな思い込みが洗い流されていくのを感じた。

 

母は、ただただ一生懸命に生きてきただけだ。

 

真摯にひたすらに生きてきただけだった。

 

不幸を嘆いてばかりで、生きていたわけではない。

 

わたしは罪というでっちあげをそこに置いた。


わたし(自我)も、一生懸命生きてきただけだった。

 

ただ、愛に背を向けていたのだ。

 

細胞がひっくり返る。

 

握りしめていた母像、父像は消えていった。

 

両親がわたしの心に影を落としたのではない。


わたしの分離意識が心に影を落とし続けていた。

 

ただの捏造でしかなかった。

 

わたしは何も見ていなかった。


見ていたのは罪悪の夢。


特別性の夢。

 

彼らは無罪。

 

わたしも無罪。

 

この世界の全ての人も無罪。

 

ゆるす必要もない。

 

縁起の中にて、「罪意識」が消える。


この世界にはひたむきな「生命」のみがあった。

 

そもそも、全てが愛。

 

「平安」の只中に在る。

 

・・・

 

【おしらせ】

 

●東京で一日間、オープンカフェが決まりました。

 

初めての方も大歓迎です。

会いたいです。

 

・日時 10月20日(日)10時~20時


・場所 文京シビックセンター 障がい者会館3階和室

東京都文京区春日1-16-21
https://maps.app.goo.gl/fs4BgW9XVx7SRptH6
アクセス
東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分
都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分
JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

 

・参加費 3時間以内 2,000円 それ以上は3,000円

 

※ 三木さんが、会場をめいっぱいの時間押さえてくれました。

 

よかったら、10時にみんなで開始して、思いっきり、ワーク、シェア三昧です。

日々の中で、気づいたこと、気づきそうなこと、お互いやみんなで確認したいことなど、共有するひとときになればと思います。

 
・・・

 

京都オープンカフェ


・日程 12月14日(土)11〜20時
15日(日) 10〜17時
16日(月) 10〜13時 (2日間の見直しとして)

・場所 

 

 

 

 

・参加費 3日間 9,500円 (※ 2回目の参加の方は、6,000円)

 

★16日・月曜日 個人セッション ①13時~14時 4,000円

 

※ 今回の京都もゆきえさんが窓口でいてくださいます→ yukiekujiranami@hotmail.com

 

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熊本でのオープンカフェもまだ2名くらい受け付けています。

 

・日時 11月16日(土)10時~18時

17日(日)10時~18時

18日(月)10時~13時 

 

・場所 は、10月に決定します。パークドーム内の会議室 OR 龍田公民館 和室。

 

・参加費 5,000円 (※ 2回目以上の参加の方は、3,000円)

 

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お問合せ

090-1191-5554

kuzira826@yahoo.co.jp

茂藤かおり

 

 

 

 

 

お問い合わせ

 

 090-1191-5554

kuzira826@yahoo.co.jp

茂藤かおり

 

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★【気づき】のYouTube →●

 

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コチラ(hatena blog)では、「奇跡講座」のレッスンの記録等を書いてます。~

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。