「間違わないように・・・」という思いによって、さらに迷宮入りしてしまう。
「これは聖霊の導き(正しい)か?自我(間違い)なのか?か」という問いで生じるエラー。
一見、「聖霊」にゆだねる、聞く、退く・・としながら、結局は、瞬時に「現実」を裁いた方に加担してしまう。
「間違っちゃダメなんだ~」ってなってるときは、結果、自分を固定させ、閉じこめ、自我に留まり、幻想に入り込んでいる。
「聖霊」にゆだねているのに、なぜ苦しい?
根本的な誤解を見直す。
「聖霊」にゆだねるとは、一切の判断から退くということ。
儀式的にやることではない。
常に、ただ「事実」だけに留まるということ。
これは、見えている現実を「完璧」だ!と認める、ということなのだ。
見えている現実を、「罪」や「悪」や「問題」、「良い悪い」などとして見てない、ということなのだ。
「意味づけしない」ということなのだ。
全ての思考に乗っからないのだ。
物理世界における表面上のアレコレに「意味をつけ」、「感情・感覚」をわかせ、強迫的な観念に没入し、「幻想」をリアルだと注視していたと気づく、気づいたら離れる(自動的に離れる)、ということ。
「全体性」に還るということ。
・・
判断を放棄する=聖霊にゆだねる=全体性に還ると、「すべてが完璧!」。
聖霊の答えとは即日速攻、待つ必要などない。
「完璧には見えていなかったけど、完璧らしい」と留まってみる。
「わからなさ」にくつろぐ。
そしたら、シンプルで「完璧」な「事実」だけが見えてくる!
というか、戻る。
正気に戻る。
・・
「意味づけ」に乗っからないで、「事実」だけを見ることの「例」をあげると、
・夫がわたしに冷たい(分離からの意味づけ)※感情・感覚が生じ過ぎ去る → 夫(誰か)が一緒の部屋に居る(事実)→ 完璧だ!→今ここのわたしと一致→わからなさにくつろぐ→・・・結果、全体性(愛)・完璧さを認識 → もしかしたら、夫の態度が激変し優しくなるかもしれないし、そもそも夫がどうであろうと気にならなくなり、どちらにせよ、静かな喜びや感謝に至る。
・子供に問題があり心配(分離からの意味づけ)※感情・感覚が生じ過ぎ去る → 子供(誰か)と暮らしている(事実)→ 完璧だ!→今ここのわたしと一致→わからなさにくつろぐ→・・・結果、全体性(愛)・完璧さを認識 →もしかしたら、子供の問題がなくなるかもしれないし、そもそも問題があろうがなかろうが愛おしくなり、適切な関わりになり、静かな喜びや感謝に至る。
・母が認知症でどうなるのか心配(分離からの意味づけ)※感情・感覚が生じ過ぎ去る →母(誰か)がいる(事実)→ 完璧だ!→今ここのわたしと一致→わからなさにくつろぐ→・・・結果、全体性(愛)・完璧さを認識→もしかしたら、母が回復するかもしれないし、そもそも認知症であろうがなかろうが、適正な関わりになり、静かな喜びや感謝に至る。
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↑このような、瞬時の流れとなる
無機質すぎるだろうか?
でも、「事実」はシンプルで、あまりにも完璧で美しい。
「事実」こそが「聖霊」のまなざし。
そして、完璧さだけを体験する。
すべてが愛でられる。
そして、それ以外のことは必要ない(とわかってしまう)。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。