もともとあった内側の「親密」な感覚。

自分の内側の静かなぬくもり。

無条件で感じられる安らかさ。

 

目を閉じるといつも「ある」、「確かな」、当たり前すぎる感覚。

 

 

それが延長され、あらわれるままであるのを邪魔しないでいたい。

 

お気楽で、取り繕うこともない、無邪気さ。

 

単純なまま。

 

ただ愛おしかったり、楽しかったり、嬉しかったり。

 

そんな、もともとあった、静かな無邪気さを、そのまんまにしておく。

 

「良い気分でいるのに理由が必要」

「○○さえ○○なら、もっといいのに」

「わけもなく、のん気でいていいはずない」

 

そんな疑いの知覚、視覚、を放棄する。

 

自分ひとりの時はそんな感じでいれるのに、人と関わる時、「分離」のスイッチが入ってしまう。

 

でも、そんなとき、この「内側の親密さ」を思い出す機会。

 

目の前の人にも同じくある「内側の親密さ」。

 

その中にくつろごう。

 

「素材」に戻ろう。

 

目の前の人の「素材」も同時に感じよう。

 

馴染み深い「思考」、それにともなう「感情感覚」が湧き上がってきたら、抵抗せずに感じる。

 

そして、そのまんまそこらへんに置いておき、聖霊という静けさに優しく愛でられ消えていくままに。

 

本来の「素材のあたたかさ」で包んで、消えるままに。

 

・・・

ワークブック

レッスン351

 

罪のない兄弟は平安への導き手である。

罪深い兄弟は苦痛への導き手である。

私は自分が見たいと選んだほうを見ることになる。

 

・・・・・

 

神聖なあなたの子でなくて誰が私の兄弟でしょうか。

そしてもし私が兄弟を罪深き者と見るなら、私は自分自身を、神の子ではなく罪人だと宣言していることになります。

それは、恐ろしい世界の中にあって友もいない孤独な罪人です。

しかしこの知覚は私が下す選択であり、放棄できるものです。

私は兄弟を罪なき者として、神聖なあなたの子として見ることもできます。

そしてこの選択をすれば、私には自分の無罪性が見えます。

私の傍らには永遠の慰め手であり友である聖霊が見え、安全で明確な私の道が見えます。

ですから、父よ、御声を通して私のために選んでください。

聖霊だけが、御名のもとに正しく審判するからです。

(全文)

 

・・・・・

わかち合えたら嬉しいです。

感想や質問などもお待ちしてます。

 

kuzira826@yahoo.co.jp

090-1191-5554

茂藤かおり

 

Humming