※↑「「アンリ・ル・シダネル」(森の小憩)
 
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「自我」100%をポイッて放り、ゆだねることが怖かった。

 

70%・・88%・・・92%・・・・と小出しに見過ごしたつもりだった。

 

だけど、最後の1%を放るまでは、結局は「自我」にリアリティがある。

 

「自我」を止めるのではない。

 

「自我」を100%スルーする、見過ごす、ゆだねるだけ。

 

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100%、「自我」を、ただそこにポイッとしたら、これまでの、過去の重々しさがより強く感じられた。

 

それでも、その重さを抵抗せずに感じていった。

 

やがて、あたたかさだけが残った。

 

70%のときも、99%のときも、そのとき、そのとき、いつだって「全体」「リアル」と離れたことはなかった。

 

すべてがリアルの中の映像。

 

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ブログの「題名」を変えたくなって変えました。

 

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昨日、ずー-んと落ちていた。

 

それでも、気になっていた県立美術館の「東京富士美術館コレクション展」に。

 

なんだか、どの絵にも全くピンとこないまま、一枚一枚観覧し、ちょっと残念に思いながら、もう出ようと思っていたところ、出口付近で、「アンリ・ル・シダネル」の「森の小憩」に出会いました。

 

おそらく、これまでも、この画家さんの絵に出会っていたと思いますが、これまではおそらくスルーでした。

 

これまでは、ちょっと激しい、特別性を訴えるような、少し暗い作品が好きだった。

 

だけど、今回は、そんな絵に対して、なんだかもうお腹いっぱいな感じになってることに気づきました。

 

そして、この「森の小憩」の、風景の中に光が漏れだしている柔らかな表現に惹かれました。

 

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この世界の正体は光の粒子。

 

無垢で、きらめいて、気楽で、優しい。

 

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これから、この絵のように、あたたかいままであることに抵抗せずにいたいです。

 

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