娘が小学生の頃のある日、私に言いました。

 

「お母さんが機嫌いい時は鼻歌歌ってる時だね。」

 

・・・

 

その頃の私は全く心に余裕がなく、不機嫌なことが多かったのです。

 

そして、そんな状態なので、いつもならスルーしてしまうかもしれない何気ない言葉でした。

 

ですが、なぜか、その時はその言葉が心に沁み込みました。

 

今は、私の人生を引っくり返すために送ってくれた真我からのメッセージだと思っています。

 

「鼻歌歌っている時の私ってどんな時だろう?」と、立ち止まり、自分に問いかけはじめました。

 

 ・・・・・

 

その頃の私は、自分を信頼しておらず、欠乏感、無力感でいっぱいでした。

 

その欠乏を埋めるためにつねに外に意識がいっており、比較したり、裁いたり、と一喜一憂していました。

 

つねに、不安、イライラ、恐怖、虚無感、優越感、劣等感で、いっぱいでした。

 

世間に置いていかれないように、周りから認められるように、外の世界をどうにかすることに必死でした。

 

過去を悔み、未来に不安を感じながら生きていました。

 

外の世界の中で「失敗しないように」と、毎日を必死に”こなしている”ような日々。

 

ひたすら、自分とも世界とも戦っているような毎日でした。

 

"くつろぐ”

”楽しむ"

"マイペース”

"今ここ"

”愛しむ”

 

そんな、「平安」からは程遠い状態でした。

 

戦いの日々・・・。

 

あれしちゃいけない。

これはおかしい。

急がないとだめ。

きっと笑われる。

人より劣っている。

恥かいちゃいけない。

馬鹿にされないように。

怒られたくない。

嫌われたくない。

負けたくない。

失敗したくない。

ガッカリしたくない。

無視されたくない。

せめて標準に。

認められるように。

大切にされたい。

愛されたい。

 

全部、分離している前提の、「戦いのルール」の信念に沿っていました。

 

緊張していて、

力んでいて、

焦っていて、

動揺して、

呼吸は浅くて、

過呼吸で、

罪悪感に苛まれて、

罪と罰でいっぱいの日々。

 

全く、ゆるんでいない。

 

自然ではない。

 

鼻歌どころではなかったんです・・・。

 

・・・・・

 

"くつろぐ”

”楽しむ"

"マイペース"

"今ここ"

”愛しむ”

 

「比較」や「戦い」は全く必要ない。

 

あぁ、ここに戻りたい・・・。

 

・・・・・

 

そうして、「鼻歌の人生」を取り戻そうと思いました。

 

こうして、これまでの人生を振り返り、観察していきました。

 

分離の思考に氣づいていきました。

 

こうして、少しづつ、信念から離れ、心の扉が開きはじめたのです。

 

・・・・・

 

無防備に、感じるままに。

 

自然にもれる鼻歌。

 

鳥や風の音を味わう。

 

足を止め、道端の草花をゆっくり愛でる。

 

肌に当たる空気を楽しむ。

 

香りを感じる。

 

自分の手の動きを喜ぶ。

 

身体の温もりに委ねる。

 

何でもないものが「実相」への入り口。

 

すべては、一つらなりの「愛」。

 

すべては、無条件。

 

至福と平安の只中。

 

いつも、いつも、hummingと共にありました。

 

・・・・・・

 

娘を通して導かれたこの想いを忘れない。

 

これが、hummingの由来です。