①からの続きです。
「全摘する」
覚悟を決めたはずの私でした。
いずれにせよ、もう選択の余地はないほどの出血だったのです。
入院して、出血をピルで止め、毎日造血剤を注射して、3週間目には手術ができるまで貧血が改善されていました。
いったん、家に戻り、手術を待つ日の間、心はズーーーッとざわついたままでした。
「納得した決断なのに、そして、そうするしかないのに・・・・」
とにかくざわざわし続ける心。
もう凄まじいほどのざわつき!
胸のざわつきが止まらない。
異常なほど。
「潜在意識は何を知らせているの?わからない!」
そして、夫や友人、遠くの友人にも不安を吐露しました。
30年ぶりの友に電話し、会話でなんらかのインスピレーションが得られるかも・・・など。
気づけば、今までしてこなかった事だらけでした。
泣いて、弱音吐いて、怖がって、ひとりじゃ寂しくて、不安で。
そうか、、、私、人に弱音が吐けなかった、見せてはいけないと思っていた。
愚痴はたまに言ってたし、弱音も吐いてたはずだけど。
でも、本当に怖がっていることに触れるのが恐かった。
「一番辛いことは、どうせ誰にもわかってもらえない」
そう頑なに信じていた。
だから、誰にも話さない。
「恐怖」を強く信じていて、「恐怖」に居座っていた。
だけど、今回は、追い詰められて、これまでできなかったことをやった、、。
・・・
心をオープンにすること。
心を明け放つこと。
・・・
「怖さ」を認める、開示することで、「怖さ」がゆるむ。
「怖さ」の信憑性がうすまる。
そうだったんだ、、、。
・・・
、、、泣いて周りに醜態を晒して、、、。
ただただ、ひたすら真っ暗な心を感じていました。
絶望の中にどっぷりと。
そしたら、、、、、、
手術まであと3日の朝、
絶望とざわざわがミックスしたまま、何することもなく、いつもは見もしない”リビング新聞”をふと開いてみました。
そしたら、ある文字が飛び込んできました!
「切らない子宮筋腫」
私、「!!!え~~~~~、私は3日後に切るのに、そんな選択もあるの?」
それは、熊本では人気のあるF病院の広告でした。
「今更、病院変えられないし、病院変えて、手術の日が長引いたら、仕事やお客様や家族、、みんなに迷惑をまたかけてしまう・・、出血だって、いつまでもピルで止めておけない・・・怖い、、、」
そして、その新聞は見なかった事に・・・・・。
だけど、
心のざわつきは、ずっと止まらない。
あれ?そうか・・・これ、 私の羅針盤。
これこそが、"大いなる意識”からのシグナルじゃないか?!
”直感”以外の何物でもないじゃないか?
これまでも、大きな転機の時は、この”ざわつき”があった。
これまでも、人生の節目にこの”ざわつき”に従い、導かれてきたのです。
今回、”恐怖”に飲み込まれて、そのお知らせを無視してしまいそうになっていた。
でも、フッと、正気になったのです。
「恐怖」と真正面から向き合った形になったのです。
急に、「怖い」と縮こまってないで、動こうと思い直しました。
そして心になぜかフッと浮かんだ産婦人科でのセカンドオピニオンの受診を決めました。
そしたら、その病院で・・・「あなたの子宮は切らなくていいよ!」と。
先生が、「MEAという機械が2か月前に当病院に入りました。それで内膜を焼いて、出血の量を減らしましょう。その結果で、また次の選択をしてみましょう」と。
その機械は、あの新聞広告に載っていた「切らない子宮筋腫」の機械でした。
当時、その機械は、熊本には、あの広告の病院と、私が今回決めた2つの病院にしかなかったのです。
そして手術が2か月待ちのドクターなのに、予定を変更して、4日後に手術を入れてくださいました。
わずか1日の入院で、家に帰れる!
「全摘しなくていい・・・」
こうして、病院を変え、MEAという機械での手術を受けました。
それから2ヵ月間ぐらいは子宮に変な違和感はありましたが、驚くほど劇的に出血が少なくなりました。
(完全に全快したな!と感じるには1年くらいかかりました。)
・・・
これまでの私の偏見や頑なさ、恐怖への縮こまりを大いに反省しました。
その病院では、余分な薬の投与も勧められず、リスクも少なかったです。
「西洋医学」への毛嫌いも、恐怖の現れでした。
・・
ですが、まだこの時は、これらのこの急な展開に、”喜び”よりも、「こんなに上手くいくはずがない!!」と新たな疑いと「恐怖」が出てきました。
私は、「信頼」できないんだと気づきました。
全てを疑って、恐怖まみれで生きてるんだって。
また、どこまでも自分をいじめ、責めていることも感じました。
この10年近く、指も透けるほど重度の貧血だったのに、辛いのを麻痺させ、身体を引きずりながら生活してました。
罪と罰を、とことん自分に課していました。
私の信念が私の人生と世界をつくってる・・・
こうして深い信念が、今回この形の体験として現れたのです。
信頼していない。
誰も何も信頼できない。
罪と罰を信じている。
私は私を助けない。
誰も私を助けない。
社会は怖いところだ。
私は無力だ。
恐怖を信じている。
どこにも愛なんてない。
そんな心の叫びがありました。
・・・
「そんなことないんだよ。まず自分自身を優しく見つめてあげて、信頼を取り戻して」
「子宮」という身体のパーツを通し、私に教えてくれたことです。
「恐怖」、「絶望」をしっかり自覚し、その正体を見つめよう。
そっぽ向いても無駄だよ。
ちゃんと感じよう!
その奥にある真実を見つめよう!
・・・・・・
この後から「奇跡講座」に真剣に取り組むことになりました。
そして、自分に何が起こっていたのかが、腑に落ち始めたのでした。
・・・
「過去」の記事への、気づきの追記・・・(R6.5.27)
『どこまでも、自分が信じていることを体験してきたんだなぁということ。
信念を取り下げたら、実相に満ちていました。
"問題"だと思っていたことは、勘違いでした。
そして、そもそも、ただただ満たされていました。
「過去」のできごとがゆるみ、なんでもないもの、そして祝福へと変わるとき、
自我という時間軸は全体へと統合されます。』