*自分自身の心の整理として書いています。
今の仕事に導いてくれたのは「子宮筋腫」でした。
30代、私はエステのお店で”エステティシャン”として働いていました。
エステでの重労働、売上げの事、人間関係、そして根強くトラウマとなっている両親や過去の記憶、夫や子供との混乱だらけの関係等の、潜在意識の中にある未完了な問題の数々・・・・。
幼い頃から、責めながら犠牲的な反応を元にして生きてきた日々。
そんなある日、34歳くらいから、出血が止まらなくなりました。
病院で「筋腫ですね。お子さんも2人いらっしゃるし、できれば全摘を勧めます」と・・。
「全摘は絶対嫌だ」
私は内臓がなくなる、というイメージがどうしても全くわきませんでした。
なんというか、抵抗感がすごかったです。
それでも、今までの自分を振り返ってみたら、いろんなことが見えてきました。
「私は私にどれだけ嘘をついてきたんだろう、無視して無理してきたんだろう」
「もうつくり笑いはやめよう、ご機嫌とりはやめよう」
「自分に納得のできる生き方がしたい」と。
そう氣づきはしても、筋腫での出血が収まりません。
停滞したり、少し改善したり、またひどくなったり、、、。
慢性的に出血過多が続きました。
2006年に、一度、筋腫のみを膣式手術で取りました。
でも、すっきりした改善ではなく、そのうちまた同じ状態になりました。
その手術以降、私は病院(西洋医学)に行かないことを決めました。
これまでの経験でも、病院や先生に対して満足したことがなく、今回手術を受けた病院も腑に落ちないことが多く、西洋医学が益々信用できなくなっていました。
そうして、「子宮筋腫」になった「原因」は自分の内側にあるんだと見立て、その「原因」を探すために心に向き合いました。
・・・
まずは、正直に生きようと、限界を感じていたエステのお店を辞めました。
「生きたい生き方を自分で選ぼう」と決心しました。
それから、アロマ、ヨガなどホリスティックな療法の学びを始め、交流分析心理学やレイキ、あらゆる食事療法、そして催眠療法を学び始めました。
自分が氣になる事、関心がある事の勉強を重ねに重ねてきました。
原因は私の中にあるはずだから、と探しました。
一進一退で、相変わらず、子宮筋腫がすっきり改善した自覚はなく、月経過多のまま月日が流れていきました。
それはそれは出血が多い日々でした。
でも、辛い身体とは別に、心には止められない「パッション」のようなものがありました。
「自我」の衝動と「真理」への渇望がミックスしたようなエネルギーでした。
それから、Robeという会社を立ち上げて、ひとつひとつ、心の底から湧いてくるものに正直になり、それが仕事につながていきました。
日常は劇的に変化し、いろんなものを現象化し、引き寄せました。
お客さまとの出会いの嬉しさと充実感がありました。
「子宮筋腫」の原因を探ろうと必死でやっていることから生じる「気づき」にて、それが仕事として生かされていきました。
だけど、「子宮」は相変わらずのまんま。
私の中にあるのに、、、私の中のものなのに、、、。
コントロールができない。
それでも、セルフセラピーを重ね、病気という「結果」の「原因」を見つけるために、探し続け、学び続けました。
何かを忘れているような、近くて遠いジレンマを感じながら・・。
そんな最中、大きな転機が・・。
5月のある日、見たことのない、これまで味わったことのない大出血!!(バケツをひっくり返したような大量の)
恐怖。
そして、物理的に限界でした。
その日は、ヒプノセラピーの勉強会のために東京に行く日でした。
また、5月は様々な大きな予定が入ってて多忙になっていました。
「体調を気にしてなんかいられなかったのに!」と焦るのに、トイレから出ること出来ないほどの大量の出血。
空港に送ろうと待ってた夫から、「もう一度ちゃんと病院に行こう」と諭されました。
すっかり病院に行かなくなっていた私は、どの病院に行っていいのかわからなく、なぜか、昔、母が私を産んだ産婦人科を思い出し、そこに行きました。
ヘモグロビン値5.9 フェリチンは2・・・!!
「よくこんな数値で普通に生活してたね」
即入院で、造血剤を打つことになりました。
「全摘ですね。けど貧血治らないと手術出来ないよ」
「とりあえず、出血止めるのにピルを使いましょう」
私は、敗北感と恐怖と怒りと絶望でいっぱいでした。
薬を飲む事、西洋医学に頼ること、こんなに学んでいるのに、改善していかないこと。
毎日の造血剤もイヤでした。
いろんなものがガラガラと崩れていくし、力が入らない。
真っ白になりました。
そしてぽっかりとしたところを「恐怖」だけが覆い尽くしました。
潜在意識の理解が深まり始めていたので、何があっても心はなんだか軽くなっていて、「クリア」でした。
だから重度の貧血であろうと、気にならなかった。
でも、今振り返るとわかるのは、相当の「抑圧」が、この病気のおかげで潜在意識から噴き出したのです。
隠し持っていた暗闇が、こうして表出したのです。
不思議なことに、絶望の最中、そんな私をもう一人の私が見つめていました。
自分の動揺とフリーズ感の「反応」を、新しい私と出会った驚きのように感じ、それを見つめていました。
・・・
「私には何にもない、弱い、無力だ」
「結局、何もわかっていない」
「絶望しかない」
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お話は②に続いていきます。
手術後早々に決行したモロッコ旅行にて。
壁画の一部の写真。
模様にイスラム教のお祈りの文字が使われてるそうです。