まだ学ばなければ・・・と焦る心がある。
「学ぶ」というより「思い出す作業」なのかも。
そして、やたらと自然に触れたくなり
海に行ったり
山に行ったり(阿蘇山の噴火口に登ったのは、たぶん30年くらいぶり)
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小さな物語を書いてみました。(
。)
その王様は大きな決断を迫られていました。隣国との戦いがいよいよ避けられなくなってきたのです。国益と宗教に基づく理念のからみで長いこと、こじれていたのです。
元々、争い事を好まず、上手に戦術を使う能力もなく、ただただ音楽や絵画に親しみ、ブドウ畑をゆっくりと散策する事が日々嬉しく、美しい王妃と息子の成長が楽しみである、そんな日常に満足し、その生活がずっと続くのを願っていました。
しかし、そんな王様の気質を知る、王室の者や政治家達はよく思っておらず、様々な話を持ち出し王にプレッシャーをかけてくるのでした。
王の采配次第で、国はもっと豊かになるのだ!と迫られていました。
戦争になれば、隣国も我が国も大勢の犠牲者が出るのは明らかでしたが、戦えばこちらが優位で、隣国を支配下に置くことで、様々な国益をもたらされるのもわかっていました。
王の穏やかさの中に見え隠れする隠せないプライドを揺さぶるため、政治家達は、色んな話を持ちかけてきました。プライドを刺激され、そこだけは譲れない王は、考えに考えました。どう考えても、軍隊だけではなく、国民も犠牲になるのは、わかっていました。
王は、一人息子に軍隊の指揮を取らせる事で、国民へ王の責任を果たす示しを表そうとしました。王妃は狂ったように反対し、時には泣きすがりました。王妃は自分が頼めば、王は、その決断を諦めると、思っていましたが、国民への申し訳なさから、王は首を縦に振ることはありませんでした。王妃は失望し、王の愛がそこにないのだと、嘆き、もう二度と王も誰も信用しない!と心に誓いました。
いよいよ戦いの日が近づいてきたある早朝、王はそっと城を抜け出し、ブドウ畑を通って、その先の森の奥にある教会に行きました。古くこじんまりとしたその教会の礼拝堂にはイエス様の像とマリア様の象がありました。古い椅子に腰かけ、王は一心に祈りました。
昨晩の一人息子に戦いの一切の責任を引き受ける事を告げた時の様子が頭から離れず、一睡も出来ずに、時折祈り、時折涙しました。自分の気質に似ている息子は、優しく思いやりに溢れた、絵を描くのが大好きな子で、武器を持つなど、とても不釣合いな人間でした。
王の心根を感じ取った息子は、反論など何一つせず、王の命令を承諾したのです。
その悲しさと優しさが混在した息子の目を思い出すと、王は居ても立っても居られなくなり、こうして早朝からひとり祈り続けました。
溢れてくる涙は止めどなく流れ、袖や襟元を濡らしました。
どれくらいそうしていたでしょう?
時間の感覚を感じなくなり、自分の存在すらゆがめられるほど、泣きに泣き、神に向かって恨み言と願いと懺悔を大声で叫んで、その後の沈黙の中に佇んでいました。
王は微かに何かを感じ始めていました。それはまるで薄いマユのような光、それが王を包み込んでいるのです。苦しみと不安と懺悔の感情が一変し暖かさと揺るぎない安心感に満たされたのです。その感覚は緩やかに、しかしハッキリと起りました!内側に声が響きました。「叡智を与えましょう」、そしてそれと同時にビジョンが広がりました。自分の姿をそこに見ました。王は隣国の王と王妃を自分の城に招いていました。そして洗いざらい自分の心の内を話しているのでした。そして、お互いの神を褒め称え、互いの穀物や品物を交換する約束を取り付けたのでした。隣国の王はとても素晴らしい人格者で、この先、心強い友として交友を深めていけることが容易に想像できました。悲しみにふさぎ込んでいたわが妻も、頬をバラ色に染め、隣で美しく笑っていました。そして、一人息子も微笑みを湛え、優しい眼差しで、この様子を楽しんでいました。
それはとてもシンプルでした。ただ「心が望んでいた」!それを素直に表現しただけでした。「全てが栄え、満たされますように」!そう純粋に望んでいる事を自分の内側に許し、言葉や行動に表しただけ・・・。
そうして、王の国と隣国の両方が更に栄え、国民は皆満足し、自由に行き来し、新しい芸術や文化がどんどん生まれていきました。まさしく、創造の源の国!美しい色彩や音や自然に溢れた豊かな楽園がそこにあります。
そして、内側に響いた声・・・それはイエス様の声でした。イエス様として顕れた大いなる何か・・・・。
すべてを始まりの最初から知っていました。そうしてその一切を最初から赦していました。それにただ気づいた・・・。そう、いつでもこの宇宙はシンプルなのです。


